【中学歴史・第20回】武士の成長

中学歴史

平安時代の4回目は「武士」です。

時代は平安中期から終わりにかけて。

貴族が都で優雅に暮らしていた頃から、武士の時代が来ることを感じさせる出来事がありました。

武士はどうやってできた?

天皇や貴族は古くから歴史の舞台で活躍してきましたが、いわゆる武士ぶしと呼ばれる人たちが活躍し始めるのは、藤原氏が摂関政治を始めるころからです。

それまでも坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろみたいに、朝廷に仕える公務員的な「武官」はいたのですが、この頃に登場し、のちの源頼朝や織田信長のように活躍する「武士」とはちょっと違うんですね。

武士と呼ばれる人たちの成り立ちは、いろいろあるので「こういう人がこうやって武士になりました」という決まったルートがあったわけではありません。

いくつかのパターンを挙げるとすると、以下のようなものがあります。

ひとつは都やその周辺に住んでいた武芸(特に弓が大事)に優れた人たちが、天皇や貴族を警固するガードマン的な役割から軍隊的に膨らんでいったパターン。

あるいは、地方に赴任した役人が、そのままその土地に居座り、地元の有力豪族とくっついて力をつけるパターン。

もしくは、地方の有力農民たちが、国司などに対抗するため、武力を持ち始めるパターンなどなど。

これらのパターンが組み合わさって、武士団ぶしだんと呼ばれる武闘派集団を形成していったのです。

地方武士の反乱

天皇の子供は、身分が高く、将来の天皇になる可能性もあるわけですから、大切に育てられます。

となると、やはりお金がたくさんかかるわけです。

けっこう大変です。

桓武天皇や嵯峨天皇以降は、財政上の理由などから、皇族をけっこう減らしました。

皇族でなくなるときは、天皇から「せい」をたまわります。

桓武天皇のひ孫である高望王たかもちおうもそのひとりです。

宇多天皇から「平」たいらという姓をもらい、平高望たいらのたかもちとなりました。

この平高望が平氏へいしのはじまりで、その孫が、平将門の乱で有名な平将門たいらのまさかどです。

平将門の乱は、最初は親戚同士の領土争いでしたが、受領ずりょうともめた人間をかくまったことで、朝廷とも対立してしまいます。

将門は関東を制圧して新皇しんのうを名乗ります。

都では将門討伐軍が組織されましたが、地元の武士で、将門に父親を殺された平貞盛たいらのさだもりらが、将門を討ち取り、反乱を鎮めました。

将門が関東で大暴れしていた頃、瀬戸内海でも国司だった藤原純友ふじわらのすみともが反乱を起こします。

藤原純友の乱です。

関東と瀬戸内の両方で反乱がおこったので、さぞかし朝廷も焦ったことだろうと思います。

結局、藤原純友の乱も、別の武士団の力をかりて、おさめることができました。

地方で起こった2つの反乱を通じて、朝廷は武士団の力を頼るようになるわけです。

源氏と平氏

武士団の中で注目はやはり、平氏と源氏げんじです。

源氏は清和天皇の孫である源経基みなもとのつねもとから始まります。

源経基は、藤原純友の乱の鎮圧に参加したことでも知られています。

源氏が歴史の中で存在感を出し始めたのは、1028年に起きた平忠常たいらのただつねの乱からです。

平将門の乱から約90年後に千葉で起きたこの反乱を、源頼信みなもとのよりのぶ(経基の孫)がしずめます。

これにより、関東における源氏の存在感はグッと上がりました。

さらに、1051年に東北地方でおきた前九年合戦ぜんくねんかっせんでは源頼義みなもとのよりよし(頼信の子)が、1083年に起きた後三年合戦では源義家みなもとのよしいえ(頼義の子)がともに活躍します。

3代にわたる活躍で、源氏は東国において大きな影響力を持つようになりました。

一方平氏は、瀬戸内海の海賊退治で活躍したため、西日本に勢力を伸ばしました。

源氏や平氏は、のちに他の武士団をまとめて大きな組織になっていきますが、そのリーダーを棟梁とうりょうといいます。

奥州藤原氏

後三年合戦は、東北地方の有力者だった清原氏一族の内輪もめが原因でした。

源義家が味方についた清原清衡きよはらのきよひらが勝利し、東北地方一帯を支配するようになります。

秀衡の父方は藤原北家につながる家柄だったため、姓も変更し、藤原清衡ふじわらのきよひらと名乗るようになりました。

清原清衡の方が「きよきよ」していて、暗記的にはいいですけどね。

この清衡が平泉ひらいずみを中心に、奥州藤原氏100年繁栄の基礎を築きます。

清衡の功績として最も注目すべきは、中尊寺金色堂ちゅうそんじこんじきどうを建立したことでしょう。

国宝であり、世界遺産でもあり、ミイラが安置されていることでも有名な中尊寺金色堂

金堂の中には金ぴかの仏像が並んでいます。

奥州では金を産出できたので、こんな豪勢なお寺を造れたんですね。

奥州では他にも、名馬を育てることができました。

藤原氏はこうした産出物で、かなり潤っていたようです。

清衡のあとは基衡もとひら(毛越寺を建立)、秀衡ひでひら(源義経を育てる)と繁栄が続きますが、4代目の泰衡やすひらの代で源頼朝みなもとのよりともに滅ぼされてしまいます。

チェックテスト

なんか同じような名前の人が多いですが、教科書に出てくる主要人物や事件(合戦等)から覚えていくようにしましょう。

※まずはチェックテストに出てくる人物(用語)をマスターしてください。

合戦や反乱の詳細は、学習まんがを読んで、だいたいの流れをつかむのもおススメです!

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

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