今回は日本ではなく、中国や朝鮮の話です。
東アジアの国々が鎌倉時代の日本にどのような影響を与えたのか見ていきましょう。
中国北方の遊牧民族
中国の北にあるモンゴル高原は、紀元前の時代から遊牧民が暮らしていました。
モンゴル高原は雨が少ない乾燥帯気候(ステップ気候)に属しています。
彼らは羊や馬を生活の必需品として飼っていましたので、えさとなる草を求めて、常に移動生活を行っていました。
その暮らしの中で、遊牧民たちは幼い頃から日常生活の中で馬にのり、弓をあつかうことを学んできたたのです。
戦いに強い彼らは、たびたび中国の北方を脅かす存在でした。
特定の土地や城を持たず、戦を仕掛けては広大な草原に戻ってしまう北方の遊牧民に中国の歴代王朝は手を焼きます。
ときには万里の長城のように防壁で侵入を防いだり、ときには貢物を送り和平の道を探ったり…。
中国からすると、とにかくやっかいな存在だったんですね。
モンゴル帝国の出現
そして13世紀にはいると、大きな変化が起こります。
それまでも中国にとってやっかいな存在だった遊牧民族を、ひとつにまとめる人間が現れたのです。
モンゴルの有力氏族のもとに生まれたテムジンです。
彼はモンゴルの諸部族を武力によってまとめあげ、1206年にチンギス=ハンと名乗り、モンゴル帝国を建設しました。
チンギス=ハンは鉄の製造と軍の編成に力をいれます。
そして最強の軍隊をつくりました。
その最強の軍隊で、西方にも領土を拡大していきます。
領土拡大はチンギス=ハンの息子たちに受け継がれ、西はヨーロッパやトルコ、東は朝鮮半島にいたるまでの大帝国を築き上げます。

チンギスの孫であり、第5代皇帝であるフビライ=ハンは、都を中国の大都(今の北京)に移し、国名を元と改めます(1271年)。
その後、朝鮮半島の高麗を屈服させ(1273年)、南宋を滅ぼしました(1279年)。
※それぞれの年号は覚えなくても大丈夫ですが、次回の「元寇」を学習するときに少し役立ちます。
ユーラシア大陸の東西交流
モンゴル帝国は広大なユーラシア大陸の大部分を支配しましたが、異国の宗教であるキリスト教やイスラム教に寛容でした。
また、陸上の交通路の安全を重視し、幹線道路には駅と呼ばれる施設を置きました。
駅は泊まったり、食事をしたりすることができましたので、東西交通路の要所となり、商人が長距離を移動するのにとても便利でした。
パイザと呼ばれる通行証もつくられました。
この通行証は教科書や資料集に載っているかもしれませんので、ぜひ探してみてください。
交通路は陸だけでなく、海も整備されました。
フビライ=ハンに仕えたイタリアの商人であり冒険家でもマルコ=ポーロは、元の国まで旅しましたが、往路は陸で、帰路は海で東シナ海からインド洋を通るルートをたどりました。
マルコ=ポーロはこのユーラシア大陸をめぐる冒険旅行を一冊の本にまとめています。
タイトルはわかっていないのですが、『世界の記述』や『東方見聞録』といわれています。
本の中でマルコは日本のことを「黄金の国」と紹介しており、「民家は金でつくられている」「死者の口に真珠を入れて葬る」と書いています。
でもマルコは日本には訪れていません。
すべて聞いた話をもとに書いたそうです。
語尾に「知らんけど」とつきそうな文章ですね。
その他にも、東西交流の具体例を挙げますので、チェックしておいてください。
- 西アジアのイスラム天文学が元に伝わり、精度の高い暦ができた。この暦は江戸時代の暦の基礎になった。
- ヨーロッパからはキリスト教の宣教師と商人が、中央アジアからはムスリム(イスラム教徒のことです)の商人が元にやってきた。
- 元の景徳鎮でつくられた陶磁器は、西アジアやヨーロッパで人気を博しました。イスタンブール(トルコ)のトプカプ宮殿にある、元の陶磁器コレクションは特に有名。
- 日本が元寇で苦しめられた火薬も、元からヨーロッパに伝わった。ヨーロッパでこの火薬を使った武器、つまり銃や大砲などの武器が製造された。この武器が戦国時代にヨーロッパから日本にやってくることになる。
- 元の属国となった高麗は、中国の新しい技術である綿の栽培を導入し、それまでの麻中心だった衣服から大きな変換が見られた。他にも金属の活字を使った印刷技術も高麗に入ってきたので、仏教の経典を大量に印刷することができ、間接的に日本にも影響を与えた。
- 元の南側にあった南宋から日本に、蘭渓道隆という禅宗の僧がやってきて、日本の仏教に大きな影響を与えた。
つまり、モンゴル帝国はユーラシア帝国の広大なエリアを支配したことで、東西の交流が活発になったこと、それはヨーロッパや西アジア、中央アジアだけでなく、朝鮮半島や日本にもさまざまな影響を与えた、ということを押さえておきましょう!
チェックテスト
元は1271年にできて、1368年(日本でいうなら鎌倉時代の次の南北朝時代)まで続きました。
100年も続かなかったんですね。
※モンゴル帝国としては1635年(日本でいうなら江戸時代の初期)まで続きます。
中国を統治するのって、すごく難しいことなんですね。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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