前回で鎌倉時代は終わり、今回から新しい時代に入ります。
だいたい14世紀(1300年代)のお話しです。
天皇自らが政治を行う「建武の新政」
足利尊氏や新田義貞らの助けをかりて、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は、自ら政治を行おうと大いに張り切りました。
後醍醐天皇が取り組んだ政治を、「建武の新政」といいます。
天皇が自ら政治を行うことを親政といいますが、建武の新政とは漢字が違うので注意しましょう。
ちなみに後醍醐天皇の「後醍醐」という名前は、醍醐天皇にあやかってつけられたそうです。
醍醐天皇は藤原氏の権力が強かった平安時代に、摂政や関白を置かずに自ら政治を行った天皇と知られていますので、自分もそうありたいと願っていたのでしょう。
古い律令制度の復活させようとした後醍醐天皇は、武士よりも貴族を重視しました。
鎌倉幕府討伐の恩賞も「貴族にはたっぷりと。武士には少し」という配分でした。
命がけで鎌倉幕府と戦った武士にしてみると「おいおい、ちょっとそれは違うんじゃないか」と思います。
不満がめちゃくちゃ高まります。
また天皇が何でも自分の権限で決めようとしたため、政治が停滞してしまいました。
そもそも鎌倉幕府が倒れたのは、北条氏が権力を独占したからであって、武士たちの力が弱まったわけではありません。
武士たちは自分たちが貴族の風下に立たされることに我慢できませんでした。
そこで、再び武士の世ができることを期待して、源氏の血をひく足利尊氏を支持するようになっていきました。
京都と奈良に2つの朝廷
そんな状況で、北条氏の残党による反乱がおきました。
週刊少年ジャンプの『逃げ上手の若君』で有名になった北条時行による鎌倉占拠です。
尊氏は「反乱鎮圧に向かいますから、私を征夷大将軍にしてください」と後醍醐天皇にお願いしましたが、天皇は拒否します。
尊氏は天皇の許しがないまま、それでも鎌倉に向かい、反乱を鎮圧。
勢いにのってそのまま天皇に反旗を翻します。
ここから天皇 vs 尊氏の戦いが始まり、いろいろあったのですが、結局この戦いは尊氏が勝利しました。
1336年に後醍醐天皇を廃して、光明天皇を立てます。
しかし、どんなことがあってもあきらめない後醍醐天皇は、奈良県の吉野に逃れて、そこで「自分こそが本当の天皇である」と主張しだしたのです。
京都と奈良で2つの朝廷ができる、ややこしい事態が発生しました。
この1336年から出来事から、1392年に南北朝が統一されるまでの時代を、南北朝時代といいます。
南北朝時代が60年近く長く続いた原因はいくつかありますが、最も大きいのは尊氏たちの北朝側が内輪もめを繰り返したためです。
まず尊氏の弟である足利直義と、尊氏の側近だった高師直が争います。
その後、尊氏と直義も争ったり、その間に南朝側と手を組んだり(味方が敵に、敵が味方になり)、北朝側もグダグダになっていました。
室町幕府と守護大名
南北で朝廷は分かれた状態でしたが、尊氏は1338年に北朝の光明天皇から征夷大将軍に任じられます。
ここから1573年に15代将軍の義昭が、織田信長に京都から追放されるまでの約240年を室町時代といいます。
尊氏は後醍醐天皇や弟である直義との争いに勝つため、武士たちに太っ腹なところをみせて仲間に引き込みました。
室町幕府が成立したときはこうした争いごとの真っ最中だったため、「全国の武士をいかに仲間に引き込むか」がとても大事だったのです。
北条氏のように多くの所領を持っていなかった尊氏は、全国の守護に権限を与えました。
鎌倉時代の守護は、警察や軍事を担当するのが主な役割でしたが、室町時代の守護は争いごとを裁く権利や裁判の判決内容を強制的に執行させる権利を与えられます。
鎌倉時代の守護は「警察署長」、室町時代の守護は「県知事」といったところでしょうか。
そのため室町時代の守護を守護大名と呼ぶことも押さえておきましょう。
室町幕府の仕組みはこんな感じになっています。

幕府の仕組みの図を見て、鎌倉幕府や江戸幕府との違いがわかるようにしておきましょう。
ポイントは管領と鎌倉府がある点です。
鎌倉時代にはあった執権は北条氏が独占していた役職なので室町幕府にはなく、かわりに管領という将軍を補佐する役職ができています。
この管領には足利氏の親戚である斯波、細川、畠山が交代で任命され、三管領とも呼ばれています。
六波羅探題も足利尊氏らが滅ばしてしまったので、なくなっています。
関東地方は鎌倉幕府の基盤だったため、当時重要なエリアでした。
そのため鎌倉に鎌倉府をおいて、関東8国と、伊豆、甲斐を支配させました。
鎌倉府の長官は鎌倉公方とよばれ、このポジションは足利氏が世襲しました。
守護に権限を与えつつも、重要なポジションは足利氏が固めていたんですね。
3代将軍の義満の時代に南北朝が統一
全国各地の守護に権限を与えて、スタートした室町幕府ですが、3代将軍の義満の時代になると様子が変わってきます。
もともと朝廷が持っていた権限を少しずつ幕府に移行させるようにして、最終的には幕府が唯一の政権として全国を支配できる仕組みに変えていきました。
鎌倉時代は朝廷と幕府の二元支配体制でしたので、その点では室町幕府は異なるわけです。
また、尊氏の時代に気前よく守護に与えた権限を、義満は回収しにかかります。
有力な守護大名だった土岐氏、山名氏、大内氏を次々と潰し、将軍に権力を集中させます。
経済政策では、関所をつくって通行税を徴収したり、明と国交を結び日明貿易を開始したりしました。
さらに京都の室町に花の御所や北山に金閣を建て、将軍としての権威を示しまます。
義満の時代の1392年に南北朝が統一されます。
義満は武士としては2人目となる太政大臣に就任し、日本のトップとして君臨しました。
チェックテスト
足利尊氏は、幕府を開いた源頼朝や徳川家康に比べると薄めの存在です、深く知っていくとなかなか興味深い人物です。
機会があればぜひ『逃げ上手の若君』も読んでみてください(アニメ化もされています)。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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