鎌倉時代に襲ってきた元は、室町時代に入ってから明という王朝に変わっています。
次回のテーマは東アジアの情勢についてです。
倭寇を取り締まり、日明貿易を開始
14世紀になると、倭寇と呼ばれる海賊集団が中国大陸や朝鮮半島の沿岸にあらわれて、略奪行為をすることが多くなりました。
倭寇の倭は日本を意味するので「倭寇のメンバーは、日本人なんでしょ?」と思いがちですが、そうとは限りません。
中には高麗人が朝鮮半島の西岸部をあらしたり、中国人が中国大陸の沿岸部を襲ったりすることもあったようです。
1368年になると、漢民族がモンゴル族の国である元を北に追い払って、明という国を作りました。
漢民族の国家だけあって、明が外国と付き合っていく上で重視したのが、華夷秩序というものです。
これは「中華は世界に中心にあり、そこから離れている国は夷狄」という考え方です。
夷狄というのは野蛮という意味で考えてください。
つまり「ものすごい上から目線な考え方」なわけです。
日本は中国から離れていますから、この考え方でいけば「野蛮」な分類になってしまいます。
明は日本に「倭寇を取り締まってよ」と要望を出してきました。
当時、将軍だった義満は要求通り倭寇を取り締まるともに、「明と貿易をして儲けよう」と考えます。
明と貿易するといっても対等の立場ではありません。
日本は中国から離れていて、文明が遅れた野蛮な国なわけですから…。
日本から「ははー」と貢物を送り(これを朝貢といいます)、明の皇帝から「うん、ご苦労であった」とその返礼品を受け取ります。
その際、返礼品に加えて「日本国王」という称号も、義満はもらいうけます。
こういう貿易を朝貢貿易といいます。
義満がわざわざプライドを捨ててまで、臣従の形をとったのはこの朝貢貿易はものすごーく儲かったからです。
朝貢した品に対する、皇帝からの返礼品の率がものすごくよくて、かなりお得だったんですね。
日本と明のこの貿易は日明貿易といわれますが、貿易船に勘合という証明書を持たせたことから勘合貿易とも言われます。
勘合は2つで1セットの書類です。
日本と明がお互いに勘合をもっておいて、貿易をするときは符号を合わせ、ぴったりあえば「正式な貿易船である」というわけです。
勘合を使うことで、倭寇と区別したんですね。
明と同じように朝鮮とも貿易
先に述べたように朝鮮半島でも倭寇には悩まされていました。
1392年に高麗が倒れ、朝鮮という国ができました。
高麗が衰退した一因に、倭寇が少なからずあるそうです。
朝鮮を建国したのは、倭寇退治で名をあげた李成桂という武将。
朝鮮はこのあと500年ほどつづく長い王朝となります。
その間、ハングル文字などの独自文化が育まれました。
この朝鮮も、明と似ていて、建国当初から倭寇の取り締まりと貿易を日本に求めてきました。
日本も明と同じように、要求に応じ、国交を開いて日朝貿易を開始します。
朝鮮からは主に木綿や仏教の経典などを輸入し、日本からは銅や硫黄のほかに、琉球から手に入れた東南アジアの産物であるこしょう、薬、香木などを輸出しました。
以前「モンゴル帝国の拡大」の回で、「モンゴル帝国がユーラシア大陸の横断するように支配したため、東西の交流が進んだ」というお話を覚えていますか。
元の属国となった高麗は、中国の新しい技術である綿の栽培を導入し、それまでの麻中心だった衣服から大きな変換が見られた。他にも金属の活字を使った印刷技術も高麗に入ってきたので、仏教の経典を大量に印刷することができ、間接的に日本にも影響を与えた。
高麗が元に服属したことで、その影響が少し遅れて日本にも出ているんですね。
琉球王国の成立
鎌倉や京都で武士たちが争っているころ、沖縄でも按司とよばれる有力者たちが争っていました。
按司たちはグスクとよばれる城を拠点として勢力争いをし、3つの勢力にまとまっていきました。
沖縄本島を北から3つに分けて、山北(北山)、中山、山南(南山)の3つの王国があり、それぞれが明と朝貢貿易をしていました。
15世紀に中山の尚巴志が山北と山南を滅ぼし、琉球を統一。
首里を都として、琉球王国を建国しました。
琉球王国は明以外にも、日本や東南アジアとも貿易をガンガン進めます。
琉球の貿易のやり方は中継貿易です。
琉球は、日本、中国、東南アジア、朝鮮半島と、どこからもアクセスしやすい場所にあります。
自分たちが何かをつくって売るというよりは、国と国の間にはいって利益を得る、転売的な感じでした。
例えば、東南アジアで仕入れたこしょうを日本に売ったり、日本で仕入れた刀剣を東南アジアに売ったり。
特に琉球は明との関係が良好だったため、日本よりも取引の回数が多く、明の皇帝から与えられた生糸や絹織物を日本などに転売してかなり稼ぎました。
アイヌとの交易
今の北海道のことを、当時「蝦夷が島」とか「蝦夷地」とよんでいました。
蝦夷地にはもともとアイヌ民族が狩猟や漁によって生活をしていた場所で、現在のサハリン(樺太)やオホーツク海沿岸地域との交易も行っていました。
明にも朝貢していたようです。
14世紀(鎌倉時代)になると、津軽海峡を越えて、十三湊(青森県)に拠点を置いていた安藤氏と交易を行うようになります。
さらに15世紀にかけて、本州の人が逆に蝦夷地にわたり館を建てて、住みつくようになりました。
本州から渡島半島に渡った人たちは和人とよばれます。
和人はたびたびアイヌの人たちと交易をめぐって衝突しました。
1457年には和人の圧迫にアイヌの大首長であったコシャマインを中心に蜂起しますが、鎮圧されてしまいます。
この鎮圧した一族の子孫が、江戸時代の松前氏につながっていきます。
チェックテスト
今回も覚えることがもりだくさんでしたね。
日本史を勉強しつつ、周辺諸国の中国や朝鮮のことも並行して学ぶので、覚えることも増えると思いますが、なるべく結びつけながら理解したり、覚えたりするようにしましょう。
例えば、出来事の年を覚えるときも「1368年は明が建国した年」というだけでなく、「足利義満が征夷大将軍に就任した年」であることをチェックしましょう。
また「1392年は南北朝の統一」だけでなく、「朝鮮が建国」した年でもあります。
そうすると、正誤問題なんかでも、義満が貿易をした相手国の王朝名なんかが出題されても、自信を持って答えられるのではないでしょうか。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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