【中学歴史・第30回】室町時代の産業と惣

中学歴史

室町時代の産業は、鎌倉時代の産業から「劇的に変化した」というよりも、「発展してプラスされた」というイメージを持ってください。

「どういう点がプラスされたのか」にフォーカスしてみましょう。

村の自治組織「惣」

室町時代も、他の時代と同様に天候不順による飢饉がありました。

また南北朝の動乱もあり、民衆が戦に巻き込まれることもありました。

鎌倉時代の農民は荘園や公領の周りにまばらに住んでいたのですが、鎌倉時代の後期から集落をつくるようになってきました。

飢饉や戦乱に対してみんながまとまることで乗り切ろうとしたわけです。

寺や神社に集合して村に関することを相談したり(寄合よりあい)、惣掟そうおきて村掟むらおきてとよばれる村のルールを定めました。

こうした自治的な村のことをそうとか惣村そうそんといいます。

惣では農業生産に必要な水路や管理したり、山や野原を共同利用地(入会地いりあいちといいます)として設定したりしました。

年貢を領主に納めるのも、この惣ごとに行う地域が広がります。

「室町時代の農村=惣」という図式で覚えましょう。

産業の発展

農業は生産量が増え、商品作物の栽培も広がった

農民たちは飢饉にみまわれながらも、生産量を増やす工夫も行いました。

鎌倉時代と室町時代の対比を表で確認してみてください。

 鎌倉時代室町時代
二毛作近畿地方や西日本が中心だった。全国各地に広まった
畿内では稲・麦・そばの三毛作も行われた。
品種改良早稲わせ晩稲おくてに加えて、中稲なかてをつくるようになった。早稲、中稲、晩稲の作付けが広まった。
灌漑施設灌漑のために水車が用いられるようになった。水車に加えて、竜骨車りゅうこつしゃも使用されるようになった。
肥料刈敷かりしき草木灰そうもくばい刈敷や草木灰に加えて、牛馬のふんも使われるようになった。

また、お米以外にもあさくわあいちゃの商品作物の栽培も行い、各地に流通するようになりました。

手工業が発達して、各地の名産品が生まれた

守護大名のもとで、その地方の特色を活かした特産品を生産するようになりました。

表にまとめておきます。

特産品西陣織にしじんおり刀剣瀬戸焼せとやき
京都備前・美濃京都・河内・大和・摂津尾張

備前や美濃で大量につくられた刀剣は、輸出品にもなりました。

同業組合である座や定期市は鎌倉時代にもありましたが、室町時代になると数が増加しました。

 鎌倉時代室町時代
平安時代から存在していた。
寺社に所属。
寺社から独立し、独占販売権が強化された。
数も増えた。
定期市ていきいち月に3回開く三斎市さんさいいち月に6回開く六斎市ろくさいいちが登場。

決まった日だけではなく、いつも開いている小売店が出てきました。

こうした小売店では商品がよく見えるように、現代と同じような商品棚に陳列しました。

この棚のことを見世棚みせだなといいます。

馬借や車借が活躍

鎌倉時代に港や河川のそばで運送業&倉庫業をしていた問丸といまるは、卸売業をメインとする問屋といやに変わっていきます。

問丸と問屋の違いは非常にわかりにくいので、自分なりにイメージを持っておくようにしましょう。

簡単にいうと「問丸=クロネコヤマト」で、「問屋=商社」に近いと思います。

また、運送業の実働部隊としては、馬を使った馬借ばしゃくや、牛に荷車を引かせる車借しゃしゃくが活躍しました。

峠を越えるような山道は馬を、平坦な道でたくさん運びたいときは牛を使いました。

道を行き来する人や物が増えたことから、幕府や寺社は関所せきしょを設けて、通行料を取るようになりました。

関所は古代、中世、近代と役割が違いますので、ポイントを押さえておきましょう。

古代は軍事的な意味合いが強いです。

壬申の乱で大海人皇子が不破の関をおさえたことが勝因となりました。

近世では江戸と地方との往来を管理する目的がありました。

「入り鉄砲に、出女」という言葉が端的に表現しています。

貨幣の流通

中国の王朝が宋だった時代から、銅銭宋銭そうせん)は大量に輸入されていました。

明に変わっても、引き続き人気で、日明貿易の主要な輸入品でした。

新たに入ってきた洪武通宝と永楽通宝えいらくつうほうは、字の並び方(上→下→右→左)とともに押さえておきましょう。

中国の銅銭は日本で流通しましたため、粗悪な「偽物」を作る人が出てきたんです。

この粗悪なお金のことを私鋳銭しちゅうせんといいます。

また、本物であっても、使っているうちに欠けたりすることもあります。

今なら銀行に持っていけば交換してもらえますが、当時はそんなところもなかったため、他の貨幣と一緒に使おうとしました。

しかし、良銭だけを受け取ろうとする撰銭えりぜにが横行するようになったのです。

撰銭は今の感覚からすると当然のような気もしますが、当時は「経済が停滞する」と禁止されました。

これを撰銭令えりぜにれいといいます。

「撰銭をせよ」ではなく、「撰銭を禁止する」命令なので、お間違えなく。

土倉や酒屋といった金融業者の出現

商品の代金をお金で払ったり、年貢をお金で納めたりする貨幣経済ができてくると、お金を使ってお金儲けする人があらわれました。

質屋のような土倉どそう酒屋さかやです。

現代では質屋を見かけることは少なくなりましたが、簡単にいうとお金を借りたいときに質草しちぐさ(今の時代なら時計とか、高級バッグとか)を質屋に持っていくと、持っていった質草に見合ったお金を貸してくれるところです。

利息は取られますし、返済期限が来たら質屋は質草を売って、現金にかえます。

土倉の倉は「蔵」と同じ意味で、最初は土の壁だったのですが、その後火事や衝撃に強い石灰などを壁材に使うようになったそうです。

酒屋は本来酒屋なのですが、かなり儲かったので、余力資金で金融業をはじめました。

正長の土一揆が起こる

室町時代は農民たちが惣のもとで団結したり、馬借などが活躍したりといった動きがみられましたが、このことは民衆の大きな運動につながりました。

農民に年貢の減免などを求める動きがみられるようになり、強硬な訴えである強訴ごうそや、訴えが認められないときに耕作を放棄して逃亡する逃散ちょうさんがたびたび起こるようになります。

その中で特筆すべきは、1428年に起こった正長の土一揆どいっきです。

ことの発端は近江坂本馬借徳政とくせい(借金の帳消し)を求めて、蜂起したことです。

飢饉が起こった時期だったこともあり、京都近郊の農民がこの蜂起にあわせて土倉や酒屋を襲い、借金の証文を破り捨てたのです。

日本史上初めてとなる暴動でした。

チェックテスト

平安時代は貴族、鎌倉時代は武士が主役の時代でしたが、室町時代になると民衆が持つパワーを感じるようになりますね。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

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