【中学歴史・第33回】中世ヨーロッパとイスラム世界

中学歴史

室町・戦国時代から「次は織田・豊臣の時代か」と思いきや、ここでいったん世界史の話に入ります。

15世紀にはいると、ヨーロッパ人が初めて日本にやってくるんですが、「なぜ彼らは日本にやってくるようになったのか」を学んでおこうというわけです。

ローマは栄え、そして分裂した

ヨーロッパの歴史はギリシャ文明から始まり、アレクサンダー大王、ローマが活躍する時代へと流れていきました。

ずっと前になりますが、第6回でカエサルが暗殺され、オクタウィアヌスに引き継がれていったところまでをお話ししていますので、今回はその後の話から。

ローマはオクタウィアヌスの時代から帝政の時代に入ります(それまでは共和政でした)。

オクタウィアヌスの後を継いだ皇帝のうち、はじめの方の5人は非常に優秀だったのですが、その後はやばめの皇帝が続き、ローマ帝国の力は衰えていきます。

その過程で、2つの大きな出来事がありました。

ひとつはキリスト教を認めたことです。

キリスト教はキリストの死後に迫害にあった時期もありましたが、その後4世紀になると公認され、ローマの国教となりました。

もうひとつはローマが東西に分裂、西ローマ帝国と東ローマ帝国となります。

東ローマ帝国はビザンツ帝国ともいい、1453年まで長い間続きました。

西ローマ帝国は476年に滅び、そこから西ヨーロッパは諸国が争う時代に入ります。

この西ローマ帝国滅亡からルネサンスや大航海時代が始まるまでの1000年間を、中世ちゅうせいとか、中世ヨーロッパと呼んでいます。

西ローマ帝国とビザンツ帝国では宗派が分かれた

西ローマ帝国が滅亡したあと、西ヨーロッパをまとめていたのはキリスト教でした。

当時の西ヨーロッパではキリスト教が広がっていったのですが、その過程で大きな問題が起こりました。

カトリック教会が、聖書で禁止1されていたはずの偶像崇拝ぐうぞうすうはいを行っていたのです。

偶像崇拝というのは、像とか絵とか、何かモノを拝むことですね。

西ヨーロッパにはいろんな言語をもつ民族がいたので、カトリック教会がラテン語(教会の公用語)がわからない人に対して教えを広めていくには、目に見えるツールを使った方がいいというわけです。

それに対してビザンツ帝国側の聖職者たちが反対を唱え、最終的には1054年に分かれてしまいました。

この分裂以降、西ヨーロッパ側がカトリック教会、ビザンツ帝国側が正教会せいきょうかいとして、明確に違う宗派として独立することになったのです。

カトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ大聖堂
カトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ大聖堂。ローマの中にある「世界一小さな国」のバチカン市国にあります

カトリック教会の首長(トップ)をローマ教皇きょうこう、もしくはローマ法王ほうおうといいます。

教皇と法王の漢字に注意してね(後白河法皇・・の法皇と違うよ)。

ローマ教皇はローマ帝国の後ろ盾は失ってしまいましたが、代わりにヨーロッパの王に接近することで権力をどんどん強めていき、最終的に王たちよりも強い存在になっていきます。

イスラム教の誕生

日本で厩戸王うまやどのおうが政治を行っていたころ、のちのキリスト教世界に大きな影響を与える出来事がありました。

イスラム教の誕生です。

メッカ(サウジアラビア)で生まれたムハンマドが、神の啓示を受けた預言者よげんしゃとしてイスラム教を開き、7世紀初めにはアラビア半島を統一しました。

預言者の漢字に注意しましょう(予言者ではないよ)。

イスラム勢力はどんどん勢力を広げ、西は北アフリカからイベリア半島、東はペルシャにいたるまで版図を拡大し、ヨーロッパや中国と接するまで広がっていきました。

一時期、モンゴル帝国の勢いがすごすぎて支配を受けることもありましたが、1453年にはオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼします。

トルコのイスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)にあるアヤ・ソフィア大聖堂
トルコのイスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)にあるアヤ・ソフィア大聖堂。もともとはビザンツ帝国が正教会として建てられたものでしたが、オスマン帝国が支配するようになってからイスラム教の礼拝堂(モスク)に変えられました

さらにインドにはムガル帝国というイスラム教の国をつくりました。

イスラム教徒のことを「ムスリム」といいますが、彼らは幅広いネットワークで、地中海や北・東アフリカ、インド、東南アジアでビジネスを展開します。

陸路や海路を使って、香辛料こうしんりょうなどのアジアの物産をヨーロッパにもたらす担い手となったのです。

その中で、火薬羅針盤らしんばん2、紙の製法などをアジアからヨーロッパに伝えたことは、のちのヨーロッパ世界、さらにいえば日本にも大きな影響を与えることになります。

また、イスラム世界では、ビザンツ帝国が持っていた古代ギリシャの知識を継承し、数学(アラビア数字やゼロや小数)、医学(病院制度、麻酔)などの科学分野をはじめ、文学(『アラビアン・ナイト』3)や美術(アラベスク)などの分野でも、非常に高い文化水準を誇っていました。

十字軍の遠征

イスラム世界がヨーロッパ方面に進出する中で、重要な出来事がありました。

11世紀にイスラム教の国家が、エルサレムを占領したのです。

エルサレムはイスラム教やユダヤ教の聖地であると同時に、キリストが処刑された場所としてキリスト教にとっても聖地でありました。

ローマ教皇はこの聖地奪還を呼びかけます。

そうして集まった軍隊は十字軍じゅうじぐんとして、エルサレムに派遣されました。

派遣は1回だけでなく、約200年にわたって7回も行われました(8回という場合もあり)。

1回目の遠征ではエルサレムを奪還できましたが、その後は失敗が続き、挙句の果てに仲間であるはずのキリスト教徒を殺害したり、ビザンツ帝国の首都を占領したり、本来の目的から大きく外れることをしはじめたのです。

最終的にエルサレムを取り戻すことはできず、その結果、十字軍の遠征を呼びかけたローマ教皇の権威は大きく失墜してしまいました。

その一方で、十字軍の遠征によって交通が発達し、ムスリム商人との東方貿易は活発化しました。

聖地エルサレムに向かう十字軍

貿易の面だけでなく、遠征を通じて西ヨーロッパ社会が失っていた古代のギリシャ・ローマ文化を、ビザンツ帝国やイスラム社会から逆輸入することになったのです。

また、イタリアのベネチアやジェノバの都市は、東方貿易で潤い、国際的な都市として発展しました。

この教皇の権威失墜や東方世界との交流、諸都市の発展なども、のちのルネサンスや宗教改革、大航海時代に影響を与えていくことになります。

【一問一答】チェックテスト(問題・解答)

中学歴史では1200年くらいのヨーロッパやイスラム世界の出来事を、2コマくらいの授業で行われるので、大まかな流れだけを把握することになります。

このあたりは高校に入ってから、世界史でじっくり勉強することになると思いますが、できれば学習まんがの「世界の歴史」を読んで、一歩踏み込んだ学習をしてみることをオススメします。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

  1. 旧約聖書の中に「出エジプト記」があり、その第20章で「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」「きざんだ像をつくってはならない」といった箇所があります。 ↩︎
  2. 羅針盤はコンパスや方位磁針のことです。この羅針盤によって航海術が飛躍的に上がりました。 ↩︎
  3. 千夜一夜物語せんやいちやものがたり』ともいいます。ディズニー映画にもなった「アラジンと魔法のランプ」や、ひらけゴマで有名な「アリババと40人の盗賊」の話などがあります。 ↩︎

解説文やプリントの効率的な使い方はこちらからご確認いただけます。

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