今回は、現代の世界において圧倒的な存在感を放つ二つの大国、ロシアとアメリカについて。
2つの大国が大国になる過程をチェック!
どちらも最初は今よりずっと小さな国でした。
なぜ彼らは領土を広げたのか。
またその過程で何があったのかもあわせて確認していきましょう。
ロシア:高級毛皮と「凍らない港」を追いかけて
17世紀初めのロシアは、まだヨーロッパの端にある国に過ぎませんでした。
政治はツァーリ(皇帝)が絶対的な権力を持つ専制政治。
そんな彼らが、なぜわざわざ寒すぎるシベリアへと進んだのでしょうか。
最大の目的は「毛皮」です。
当時、クロテンなどの毛皮はヨーロッパで高く売れ、国の貴重な財産になりました。
幸い、東のウラル山脈の先には強力なライバルがいなかったため、ロシアは探検隊を次々送り込み、17世紀半ば(日本でいえば、江戸時代の初期)には早くも太平洋岸に到達しました。
しかし、東の海は冬に凍ってしまいます。
そこで次に狙ったのが、一年中凍らない港(不凍港)を求める南下政策です。
この野望を阻もうとするイギリスなどと衝突したのがクリミア戦争でした。1
結果はロシアの敗北。
ロシアは「今の古い仕組みでは勝てない」と痛感します。
当時のロシアには、農民を土地に縛り付け、売り買いの対象にさえする農奴制という不自由な制度が残っており、これが工業の発展を遅らせていたのです。
そこで皇帝アレクサンドル2世は、1861年に農奴解放令を出し、近代国家への脱皮を急ぎました。
この後、ロシアは再び東へと目を向け、日本が注目していた満州や朝鮮半島へと迫ってくることになります。
江戸時代に、ロシア船が日本に来航するようになった背景は?
ロシアは高級毛皮を求めシベリアへ進出しましたが、現地での食料確保が困難だったため、近隣の日本に通商を求め、物資の補給路を確保しようとしました。また、南下政策を推進する中で、イギリスなど他の列強に先んじて東アジアでの拠点を築く狙いもありました。日本への来航には、自国に漂流した日本人を送り届けるという名分を利用して、公式な貿易交渉を開始しようとする意図もありました。
アメリカ:自由の裏側と、国を裂いた「貿易」のケンカ
独立直後のアメリカはまだ弱小国だったため、「ヨーロッパのケンカには関わらない」という孤立主義をとりつつ、国内の開拓に集中しました。
19世紀、アメリカにはヨーロッパから大量の移民が押し寄せます。
母国での飢饉や貧しさから逃れ、「西へ行けばタダで土地がもらえる!」という希望を胸に大西洋を渡ってきたのです。2
彼らは西へ西へと進みます。
その犠牲になったのが、もともとそこに住んでいた先住民(ネイティブアメリカン)です。
彼らは土地を奪われ、数千キロも離れた居留地へ追い払われました。
多くの死者を出したこの旅は「涙の道」と呼ばれ、今も歴史の傷跡として残っています
開拓民には「キリスト教を広めるために、西部を開拓するのは天命である」というマニフェスト・デスティニーという宗教的な信念がありました。
「明白な天命」とも訳されるこの考えが、先住民から土地を奪うことの罪悪感を薄れさせたといわれています。
そして、1840年代の半ばにはついに太平洋岸へ到達しました。
すると次は、北部と南部が「貿易」をめぐって、国内が真っ二つに割れてしまいます。
- 北部(保護貿易を希望): 「できたばかりのウチの工場を応援してほしい。外国の安い製品には高い関税(輸入品にかける税金)をかけてブロックしよう!」
- 南部(自由貿易を希望): 「ウチは綿花を外国に売って儲けてるんだ。関税なんてかけたら、相手国も報復で関税をかけてきて、ウチの綿花が売れなくなるだろう!」
この経済の対立に「奴隷制度」の問題が重なります。
1852年に発表されたストゥ夫人の小説『アンクル・トムの小屋』は、奴隷の悲惨さを全米に伝え、北部の反対運動を促しました。
1861年、ついに南北戦争が勃発。
北部のリンカン大統領は奴隷解放を宣言することで、同じく奴隷制度を反対しているイギリスが南部を支持しづらい状況をつくります。
また、有名なゲティスバーグ演説で「人民の、人民による、人民のための政治」を訴えて国民を鼓舞しました。
南北戦争は北部の勝利で終わります。
南北戦争でアメリカの社会はどう変わった?
北部の勝利により、外国製品を制限して国内の工場を育てる保護貿易が国の方針となりました。これが鉄道の開通と結びつき、全米が巨大な一つの市場となったことで、アメリカは世界最大の工業国へと発展しました。一方、奴隷制は廃止され黒人は法的に自由となりましたが、生活の場では白人と分離されるなど新たな人種差別が始まり、真の平等をめぐる対立が社会の深刻な課題として残ることになりました。
【一問一答】チェックテスト(問題・解答)
この2つの大国が力をつけたことが、この後の日本の歴史に大きく影響しますが、そこはまた次回以降に。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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