【中学歴史・第56回】欧米のアジア侵略

アヘン戦争において、清を圧倒するイギリスの海軍 中学歴史

産業革命によって、国力を大幅に増強させたヨーロッパ各国が本格的に進出を始めたのはアジアでした。

大航海時代から目をつけていたインドや東南アジア、そして「眠れる獅子」中国にも侵略の手を伸ばしていきます。

その急先鋒は産業革命で勢いにのるイギリスでした。

アジアの2つの大国:清とムガル帝国

16世紀から18世紀頃までは、実は世界経済の中心はヨーロッパではなく、アジアにありました。

中国には明から政権を奪ったしんが隆盛を誇っていました。

特に第6代皇帝の乾隆帝けんりゅうていの時代には、10回の外征全てに勝ち、清の領土を最大規模にまで広げます。

またインドにおいても、インド史上最大のイスラム帝国であるムガル帝国が繁栄していました。

17世紀後半から18世紀にかけては、アウラングゼーブという皇帝がインド大陸のほぼすべてを支配して、黄金期を迎えていたんですね。

この2つの大国は人口が多く、経済的な面で圧倒的な存在感がありました。

18世紀までのヨーロッパは、航海技術や軍事の面ではかなり力をつけてはいましたが、貿易の面では「中国やインドと、いかに取引してもらえるか」を苦心するような立場だったんです。

ところが、18世紀後半にイギリスで産業革命が起こると、状況が一変します。

機械で大量の製品を作れるようになったヨーロッパ諸国は、強力な武器や蒸気船を手にし、原料と製品の売り先を求めて、アジアへ強引に進出を始めました。

イギリスは麻薬(アヘン)を貿易品に

当時のイギリスは「お茶」が大流行しており、清から陶磁器などを輸入していました。

産業革命で大量生産ができるようになった綿製品は、絹が好きな中国にはあまり買ってもらえず、支払いはもっぱらでした。

銀がどんどん海外に流出する事態に、イギリスが考え出したのが、得意の三角貿易さんかくぼうえきです。

産業革命の資金にもなった「大西洋三角貿易」を、今度はインドと中国の間で行いました。

まずインドでアヘンという麻薬をつくらせます。

そのアヘンを中国に運び、代価として銀を中国側に支払ってもらいます。

そうすれば、イギリスが中国からは茶や絹を購入する際に銀で払っても、イギリス国内からの銀の流出は防げるというわけです。

清がアヘン戦争でイギリスに大敗

国内に麻薬がはびこることを防ぐために、中国側は厳しく取り締まります。

中国に持ち込まれたアヘンを林則徐りんそくじょという役人が大量に廃棄したことに、イギリスがクレームをつけ、1840年には戦争になってしまいました。

アヘン戦争とよばれるこの戦いは、近代的な兵器でまさるイギリスが圧勝。

1842年に南京条約を結び、イギリスに以下のような項目を清に認めさせました。

  • すでに開港している広州こうしゅうに加えて、上海シャンハイ寧波ニンポー福州ふくしゅう厦門アモイ、計5港の開港
  • 香港島の割譲
  • 賠償金の支払い

さらに翌年には清は関税自主権を失い、領事裁判権を認める不平等条約を締結させられました。

太平天国の乱とアロー号事件

三角貿易によって、今度は清の方が銀の流出に悩まされることになり、そこにアヘン戦争の敗北による賠償金がかさなり、社会が不安定な状態になります。

1851年にはキリストの弟を自称する洪秀全こうしゅうぜん太平天国たいへいてんごくの乱を引き起こし、南京を占領。

中国は大混乱に陥りました。

この動揺にイギリスとフランスがつけこみます。

イギリスはアロー号事件1を口実に、フランスをさそい、再び戦争を仕掛けます(アロー戦争)。

この結果、1858年には天津条約てんしんじょうやくが、さらに1860年には北京条約ぺきんじょうやくが結ばれ、イギリスとフランスは、新たな開港、賠償金の支払い、キリスト教の布教、アヘンの合法化、九龍クーロン半島南部の割譲などを、清に認めさせました。

インドはイギリスの植民地に

イギリスはかつてオランダとの間で、東南アジアでの勢力争いに敗れたあと、インドへの進出に力を入れていました。

かつて綿織物は「インドからイギリスへ」輸出されるものでしたが、産業革命後は逆転し「イギリスからインドへ」輸出されるようになります。

自国の製品を売りさばけるインドという市場を持てたイギリスは喜びますが、自国に大量生産された安い綿製品が入ってきたインドは大打撃を受けます。

さらに土地に対して重い税金をかけ、その税収をイギリス本国に送りました。

最初は綿製品を売りつけることが目的だったイギリスですが、やがてインドでの支配地域を増やし、インド全体を支配してやろうという動きになっていくんですね。

そのイギリスの支配に対して、1857年にインド兵士による大反乱がおきます(インド大反乱)。

イギリスは2年かけて鎮圧。

ムガル帝国の皇帝は退位となり、インド帝国が成立します。

新しい皇帝は本国のビクトリア女王が兼任しました。

東南アジアにも欧米の侵略の嵐が

東南アジアは、もともとスペインとオランダが先に進出していたところに、イギリス、フランスも参入してきて、東南アジアのほとんどの国がヨーロッパに支配されてしまいました。

東南アジアにおけるヨーロッパ各国の植民地化
スペイン…フィリピン
オランダ…オランダ領東インド(いまのインドネシア)
イギリス…マラッカ、シンガポール、マレー半島、ビルマ
フランス…フランス領インドシナ連邦(ベトナム)、カンボジア

この中で、唯一ヨーロッパの国に支配されなかった国があるのですが、わかりますか?

タイです。

地図を見るとわかるのですが、タイはイギリスが支配したインドやビルマと、フランスが支配したベトナムやカンボジアの間に挟まれています。

「タイが緩衝地帯かんしょうちたいになれば、イギリスとフランスは衝突しないですむよ」という外交戦略でのりきったんですね。

【一問一答】チェックテスト(問題・解答)

ヨーロッパがアジアに進出し、植民地化していくのを見て、日本が焦らないわけがありません。

このアジア侵略は、江戸時代末期から昭和にかけて、日本にものすごく大きな影響を与えた出来事になります。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

  1. 広州でイギリス国旗をつけた船舶を清が拿捕した事件。逮捕したのは中国人だったが、イギリス側が「国旗を引きずり下ろしたのは侮辱である」と言いがかりをつけ、開戦の口実にした。 ↩︎

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