【中学歴史・第58回】開国後の混乱

桜田門外で元水戸藩士たちが大老の井伊直弼を襲撃(桜田門外の変) 中学歴史

外国からの圧力に負けて、国を開いて貿易をはじめた日本は、案の定、混乱状態に陥ります。

政治面と経済面で、それぞれどのような影響があったのかをみていきましょう。

高まる尊王攘夷運動

幕府が外国と条約を締結していた頃に、2つの考え方が武士たちの間で流行していました。

  • 尊王論そんのうろん:「王」とは天皇のことです。つまり天皇を「尊ぶたっとぶ」考えです。江戸時代において天皇は儀礼的ぎれいてきな役割に封じこめられていましたが、かつての日本のようにもっと天皇を重んじようというわけです。
  • 攘夷論じょういろん:「攘」は「払いのける」、「夷」は「異民族」を意味します。つまり「外国人を追い払え!」という考えです。

この2つはもともと別のものでしたが、江戸時代末期に結びつき、尊王攘夷運動そんのうじょういうんどうが繰り広げられるようになりました。

尊王も攘夷も、反幕府側の考えのように思いがちですが、幕府の中にも尊王や攘夷の考えを持った人がいたことは軽く押さえておきましょう。

将軍の跡継ぎ問題もからむ

開国するとかしないとかをもめていた頃から、13代将軍の家定いえさだの跡継ぎについても、武士たちは2つの派閥に分かれて争っていました。

家定は病弱だったので、次を早めに決めておこうとしたんですね。

  • 南紀派なんきは:紀伊藩主である徳川慶福とくがわよしとみ(のちの家茂いえもち)を推す派閥。南紀とは紀伊(和歌山県)のことです。血筋を重視した人選で、派閥メンバーは譜代大名が中心。当時の慶福はまだ小学生くらいの年齢でした。
  • 一橋派ひとつばしは:一橋家の一橋慶喜ひとつばしよしのぶを推す派閥。慶喜はとても聡明という評判だったので、「この危機を乗り越えるには、優秀な人をトップに!」という人選で、派閥メンバーは外様の雄藩ゆうはん(薩摩藩や土佐藩など)が中心。当時はすでに大学生くらいの年齢になっていました。

「この難局を乗り越えるには、年齢的にも慶喜でしょ!」という考えもありましたが、勝ったのは南紀派。

最終的には、大老たいろう1井伊直弼いいなおすけが決めました。

弾圧から、大老の暗殺事件に発展

日米修好通商条約の締結も井伊が決断しましたので、井伊はこの後いろいろ批判される立場に…。

そこで井伊は反対派の大名や武士、公家までも弾圧していきます(安政の大獄たいごく)。

松下村塾しょうかそんじゅくを開いて人材を育てていた吉田松陰よしだしょういんも処刑されてしまいました。

こうした井伊の強圧的な対応に、武士の一部が猛反発します。

1860年、江戸城に向かっていた井伊一行を、水戸藩みとはんの元藩士たちが襲撃。

季節外れの雪が降る中、井伊は暗殺されてしまいました…。

江戸城の桜田門の近くで起きた事件だったので、桜田門外さくらだもんがいの変と呼ばれています。

天皇家と結びつこうとする徳川幕府

大老が殺されたことで、幕府のメンツは丸つぶれでした。

そこで幕府は天皇の威光を利用しようとします。

孝明天皇の妹である和宮かずのみやを、14代将軍の家茂と結婚させる作戦を実行します。

天皇家と徳川家を結び付けるこの策を、公武合体策こうぶがったいさくといいます。

品不足からの物価高に

政治の混迷が続く一方で、経済の方も開国によって大混乱が起きます。

まず生糸きいとが外国人にものすごく売れました。

そのおかげで養蚕業は盛んになったのはよかったのですが、売れすぎて国内では品不足になってしまったのです。

品不足になると、価格も上がります。

京都の西陣織をつくっている人たちなどは、大いに困りました。

輸入品の方は毛織物や綿織物がメインでした。

安くて質のよい綿織物がどんどん入ってきて、国内(特に三河愛知県)の綿産業は打撃を受けます。

こういう場合、本来であれば税金をかけて国内産業を守ったりできるのですが、関税自主権がないばかりに、その手は使えません。

ちなみに貿易の主な相手国はイギリスで、港は横浜が中心でした。

ハリスが主導して条約締結を進めたアメリカは、南北戦争が勃発した影響で日本と関わっている余裕がなくなっていたのです。

貿易品目や相手国のグラフと一緒にテストに出題される可能性があるので、教科書などでチェックしておきましょう。

金の流出から、インフレを引き起こす

経済の面で、この時代にもうひとつ大きな問題がありました。

日本から金が大量に海外へ流れたのです。

その原因は金と銀の交換比率の違いを利用した裏技にありました。

金が流出した仕組みをわかりやすくいうと…
日本では金と銀を1:5で交換できますが、海外では1:15の交換比率になっています。
つまり、日本では金に対して銀の価値が高いといえます。
例えば、外国人が日本に銀を15g持ち込んだとすると、日本では金3gと交換できます。その金3gを海外で銀に交換すると45gとなります。なんと最初の銀15gが3倍の45gに増えるわけです。

幕府は「しまった!」と気づき、小判(天保小判てんぽうこばん)に含まれる金の含有量を1/3に減らした新しい小判(万延小判まんえんこばん)をつくります。

しかし、小判の質を下げたことで、お金そのものの価値が下がり、さらに物価が上昇してしまいました(いわゆるインフレの状態)。

品薄とインフレによる物価上昇は、生糸や茶にとどまらず、米や菜種油なたねあぶらなど、生活必需品にも及びました。

こうして武士だけでなく、民衆からも幕府は反感を持たれるようになっていくのです。

【一問一答】チェックテスト(問題・解答)

開国によって引き起こされた尊王攘夷運動や物価高は、この時代を語る上での大事なポイントとなりますので、この流れを簡単に説明できるようにしておきましょう。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

  1. 大老は老中の上におかれる臨時の最高職です。 ↩︎

解説文やプリントの効率的な使い方はこちらからご確認いただけます。

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