前回は律令制度や平城京遷都について学習しました。
今回は、そのあたりをふまえて、奈良時代の庶民のくらしについてスポットを当ててみようと思います。
奈良時代の身分制度
奈良時代は、唐のいろんな制度を真似ていましたので、庶民の身分制度も近いものを作りました。
一般市民には大きく良民と賤民がいました。
賤民には5種類あり、陵戸、官戸、家人、公奴婢/官奴婢、私奴婢
これを五色の賤といいますが、中学生の間は全て覚えなくても大丈夫ですが、公奴婢と私奴婢の違いだけ覚えておきましょう。
奴婢というのは、わかりやすく言うと奴隷です。
奴は男性、婢は女性を意味します。
漢字からなんとなく予想がつくと思いますが、公奴婢は朝廷が所有、私奴婢は豪族の所有した奴婢です。
奈良時代の人口は約450万人と考えられており、このうち奴婢身分の人々は10%もいなかったとか、20%未満くらいだったとか、いくつか説があるようです。
税はどうなっていたか
律令国家では、まず戸籍がつくられ、どんな人がいるのをまず把握しました。
25人くらいをひとつの戸という単位にして、この戸ごとに口分田といわれる土地(田)を支給しました。
「この田んぼで米を作って、生活してね」という感じです。
口分田はあくまで朝廷のもの(公地)ですから、該当する人が亡くなった場合は返却しなければいけません。
この仕組みを班田収授法といいます。
では、具体的にどんな税負担があったかを見ていきましょう。
- 租(田んぼにかかる税)
6歳以上には口分田が支給されます。良民の男子には2段(720歩)≒2300㎡が、良民の女子にはその3分の2の、1段120歩(480歩)が支給されたんですね。賤民のうち、家人と私奴婢は良民の3分の1だけなので男子なら240歩、女子なら160歩が支給されたんです。
税率は1段につき、2束2把(収穫量の約3~10%程度)を租として地方に納めました。 - 調(成人の男子に対する税)
地方の特産物を納めます。34品目が対象となっていて、布、綿、鯛、鮎、いか、のり、わかめ、鉄製品などがありました。 - 庸(成人の男子に対する税)
都で10日間労働するか、布を納めるもの。布以外の米や塩でもOKだったみたいです。 - 雑徭(成人の男子に対する税)
地方で60日間(上限)の労働。土木工事などを行いました。
税にかかるもので意外と大変だったのが、運脚です。

調や庸は都に納めなければいけなかったので、歩いて運んだんですね。
歩いてですよ! 歩いて!
東北の人とか、大変ですよね。
運脚の際は自分で食料などを用意しなければいけなかったので、かなり負担は大きかったです。
故郷に帰ってくるまでに、行き倒れる人もいたようでした…。
兵役の義務もあった
税とはちょっと違う負担ですが、成人の男子は兵役の義務も負っていました。
成人の男子3~4人に1人の割合で、各地の軍団に兵士として派遣され、訓練しなければいけませんでした。
そこから1年の間、都の警備をする衛士に選ばれたり、3年にわたり九州の警備にあたる防人となる人もいました。
そう考えると、地元に残って農作業できる大人の男は、すごく少なくなりそうですね。
班田収授法はうまくいかなかった
いろいろ細かい税の仕組みを考えたのですが、実際にはうまく運用されなかったようです。
まず人口が増えて、口分田が足りなくなってしまいました。
それでは朝廷の税収が減ってしまいます。
口分田を増やし、税収も増やすために、「もっと田をつくろう!」となったのです。
723年には三世一身法ができます。
田んぼのための水路を新たにつくって、新たに開墾したものは、三世代にわたって私有を認めようというものです。
「土地は国家のもの」という原則を崩したんですね。
しかし、三世代終われば、返却です。
あまり効果はありませんでした
「三世一身法って、なにさ」と覚えましょう。
それならばと、次は「開墾した土地はずっと自分のものにしていい!」ということにしました。
これが743年にだされた墾田永年私財法です。
「制限はなしさ」です。
これを利用したのが、一部の貴族や寺院、地方豪族などです。
彼らはもともと経済的に力を持っていましたので、農民を集めて、どんどん開墾して、私有地を増やしました。
この私有地のことを荘園といいます。
公地公民の原則はどんどん崩れていきました。
チェックテスト
奈良時代になると、それまで竪穴住居だったのが、掘立柱住居に変わってきました。
またこの頃は夫婦別姓で、女性も強い発言力を持っていたようです。
※7の解答に誤りがありましたので修正しました(2025/12/7)。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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