今回は奈良時代の中盤から後半にかけての話です。
政治的な話だけでなく、文化的な話もします。
女性天皇が次々と誕生した奈良時代
ちょっと話はさかのぼって…。
天武天皇が亡くなったあと、皇位を継いだのは皇后でした。
鸕野讚良っていいます。
漢字は難しいですが、かわいい名前ですね。
皇后は自分の息子である草壁皇子に後継者にしたかったのですが、早くして亡くなったため、孫を天皇にしようと考え、まずは自ら天皇として即位します。
これが持統天皇です。
藤原京に遷都した持統天皇は、孫が15歳になったタイミングで皇位を譲ります。
文武天皇の誕生です。
この文武天皇を支え、大宝律令を作ったのが、鎌足の息子の藤原不比等でした。
しかし文武天皇も体が弱く、25歳でなくなってしまいます。
不比等は自分の娘である宮子をちゃっかり文武天皇の夫人にしており、皇子(首皇子)も生まれてはいたのですが、まだ幼すぎました。
そこで首皇子が大きくなるまでの間の中継ぎとして、文武天皇の母親が即位します。
これが元明天皇であり、この元明天皇の時代に平城京遷都を行います。
元明天皇は、持統天皇の妹でもあるのですが、皇位継承に関して姉と同じ手法を取っていますね。
しかし、元明天皇は即位は47歳だったので、首皇子が十分に成長するまで天皇でありつづけるにはきつかったようです。
そこで、元明天皇は娘に天皇を引き継ぎました。
これが元正天皇で、女性天皇から女性天皇への継承は(今のところ)この時だけです。
その後、成人した首皇子は天皇に即位します。
これが聖武天皇です。
聖武天皇は仏教推し
聖武天皇の時代、不比等のあとを継いで実力者となったのが長屋王という皇族でした。
長屋王は三世一身法をつくるなど、大きな権力を持ちましたが、それを面白く思わなかったのが、不比等の4人の息子たちです。
4人の息子たちは陰謀をはかり、長屋王を自殺に追い込みます(長屋王の変)。
その報いのためか、当時流行した天然痘によって、4人兄弟は相次いで亡くなりました。
また、九州で反乱がおこるなど、世の中が非常に不安定な状態になります。
聖武天皇はそれを仏教の力によって何とかしようとしました。
当時の仏教は今と違って、一般大衆を救うというより「国を守るためのもの」だったんですね。
国ごとに国分寺と国分尼寺をたて、さらに平城京の東大寺に大仏をつくらせました。
この大仏づくりは国家的な大事業だったため、民衆の協力が必要でした。
民衆の協力を得るため、行基という一般大衆に人気のあった僧に協力を要請します。
大仏は聖武天皇の娘である孝謙天皇の時代に完成しますが、その後もあまり政情は安定しませんでした。
仏教に関して少し補足を。
この時代の重要人物に鑑真という僧がいました。
唐(中国)の人なのですが、日本の僧のお願いされ、戒律を伝えるために何度も遭難を経験しながらも日本にやってきた偉いお坊さんです。
鑑真は奈良に修行僧のための唐招提寺というお寺を作りましたので、このお寺の名前もチェックしておきましょう。
天平文化
奈良時代は、遣唐使を通じて、唐の文化の影響を強く受けました。
この時代の文化を、聖武天皇の時代の年号である天平からとって、天平文化といいます。
唐は大きな国でしたので、西アジアやインドとも交流があり、その辺りの影響も天平文化には見られます。
東大寺の正倉院には天平文化を代表する品々がたくさん保管されています。
テスト対策としてチェックしておきたいものとしては、下記のようなものがあります。
- 瑠璃坏…漢字も読みも難しくこれが何なのかわかりづらいですが、さかずき(コップ)です。ガラス部分はペルシャっぽく、あしの部分は中国でつくられたものです。
- 螺鈿紫檀五絃琵琶…これも漢字も読みもめちゃくちゃ難しいです。これは楽器ですね。
- 鳥毛立女屏風…絵がかなり薄くなってしまっているので、資料集やネットで見慣れていないと、テストのモノクロプリントではちょっとわかりづらいかもしれません。
- 興福寺の阿修羅像…そのお顔や立ち姿が美しく、仏像マニアの中でも特に人気のある仏像です。
- 正倉院の校倉造…正倉院は東大寺にあります。校倉造というのは、三角形で木材で組む工法のことです。高い調湿効果があるとされています。
これらの作品を「漢字で書け」とか「読み方を書け」というのは、定期テストや高校入試で出題される可能性は低そうです。
大事なのは、西アジアやインドの影響を受けた作品であること、それがシルクロードを通って日本にやってきたこと、また作品の写真を見てそれが天平文化のものであることがわかることです。
チェックテスト
聖武天皇のあとを継いだ孝謙天皇の時代は藤原仲麻呂(不比等の孫)や道鏡(孝謙天皇の寵愛を受けた僧)が権力争いをおこし、政治は乱れました。
孝謙天皇は一度天皇をおりたあとに、再び天皇に即位しますが(称徳天皇)、こどもがいなかったため天武天皇から続いた血筋はそこで途絶えます。
そうして奈良時代は終わっていくのでした。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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