ヨーロッパでは15世紀からアジアやアメリカ大陸に向けて航海に乗り出します。
17世紀頃まで続いたヨーロッパ人の海外進出の時代を大航海時代といいます。
ヨーロッパ人が海に出ようと思った理由
ヨーロッパ人は15世紀に入って、突然思い立って航海に出たわけではありません。
11世紀から始まった十字軍の遠征を通して東の世界に触れたことや、マルコポーロが13世紀後半にアジアを旅して見聞きしたことをまとめた『東方見聞録』などを通して、アジアへの関心が高まっていたという背景がありました。
また、十字軍の遠征を通して、ジェノバなどの商人が成長したことで、アジアから入ってくる香辛料をがっちり自分たちでおさえてしまい、スペインやポルトガルで価格が上昇したことも大きい要因です。
当時はインドに行こうにも、中近東にはオスマン帝国がかまえており、ルートが確保できません。
そこで、「大西洋からアフリカ大陸をぐるりとまわれば、インドに行けるのでは?」という海のルートを考えついたわけです。
あと大きな理由としては、勢いのあったプロテスタントに対抗するために、カトリックの教えを海外に広めたいという狙いもありました。
技術的な面では、中国から伝わったら羅針盤がイタリアで改良され、航海の技術が進歩したということもありました。
まずポルトガルが先陣を切る
大航海時代の先陣を切ったのは、ポルトガルでした。
15世紀初めにエンリケ航海王子がアフリカ西海岸の探検を推し進めます。
とはいっても、王子は援助したのであって、自ら探検したわけではありません。
当時の船乗りの間で「ボジャドール岬より先は世界の終わりがある」「岬の向こうの海は煮えたぎっている」と、非常に恐れられていました。
エンリケ航海王子はこのボジャドール岬を超えるという快挙を成し遂げ、のちの探検家につなぎます。
次に出てきたのが、バルトロメウ・ディアス。
彼はアフリカ大陸の西岸をさらに南下し、アフリカ大陸の最南端である喜望峰1にまで達しました(1488年)。
ディアス自身はさらに進めたかったようですが、船員の「帰りたい」という声に従い、帰国します。
インド到達は持ち越しとなりました。
追随するスペイン
ポルトガルが海の探検をしはじめたころ、お隣のスペインではイスラム教徒と戦っていました。
イベリア半島は711年からイスラム教徒の侵攻をうけ、国土を失っていたのです。
その直後からレコンキスタと呼ばれる国土回復運動が始まっていましたが、15世紀後半はようやく終わりが見え始めていたころでした。
ジェノバ生まれのコロンブスは、以前からスペイン女王のイザベラに対して「西に進んでインドに到達して見せます」というプレゼンを行っておりましたが、イザベラから戦争中であることから断れていました。
しかし1492年の1月に、ようやくレコンキスタが完了。
戦争が行われていた前線におもむき、再度のお願いをするわけです。
イザベラとしても、ライバルのポルトガルとは違うルートでインドに到達できれば万々歳というわけで、すったもんだありながらも、最後にはゴーサインを出しました。
その年の8月にスペインを出港したコロンブス一団は、これまたすったもんだありながら、10月にバハマ諸島のサンサルバドル島に到達。
その後、アメリカ大陸にも上陸しました。
コロンブスは自分が「インドに到達した」と思っていたので、現地の人を「インディオ(インディアン)」と呼んだのです。

ガマがインドに到達し、香辛料を手に入れる
コロンブスの「インド到達(本当は違う)」を聞いて、ポルトガルは驚きました。
実はコロンブスは西廻りルートのインド行きを、スペインの前にポルトガルに持ち込んでいたのです。
しかしポルトガル国王が却下したという過去がありました。
ポルトガルとしては、当時すでに「インドまであともう少し」というところまで行っていたわけですから、コロンブスの提案を却下するのも無理はないのですが、国王は相当悔しがったそうです。
しかし、その一方でこうも考えたはずです。
「コロンブスは本当にインドに行ったのか?なぜ胡椒を持って帰ってこなかったんだ?」と。
そして、ディアスの後を受け継いだバスコ・ダ・ガマは、アフリカ南端の喜望峰をまわり、ついに1498年にインドのカリカットに到達し、香辛料も手に入れました。
現地の香辛料が安くて、びっくりしたそうです。
あと、持っていった持参品がチープすぎて、カリカットの王様に受け取ってもらえないという「苦い」お土産を持ち帰りました。
その後の冒険者たち
コロンブスが「インド」と思った新大陸は、その後コロンブスの航海を裏方として関わったアメリゴ・ベスプッチによって探検され、「これはインドではなく、我々の知らなかった新しい大陸だ」ということがわかってきました。
そして、アメリゴ・ベスプッチの名前をとって「アメリカ大陸」と名付けたのです2。
さらに1519年にはスペインの支援を受けたマゼランが世界一周の旅に出発します。
マゼランは南米大陸の南端から太平洋をわたり、フィリピン3に到着。
そこで原住民によって殺害されますが、残りの船員が1522年に帰還し、初の世界一周を達成ししました。
新大陸発見がもたらしたもの
アメリカ大陸を発見したスペインは、メキシコのアステカ王国、ペルーのインカ帝国を滅ぼし4、先住民を使って銀の採掘を行いました。
また、サトウキビを持ち込み、現地でプランテーションを行います。
ヨーロッパ人は病気も持ち込んだために、危険な銀の採掘と合わせて相当数の死者を出したと言われています。
現地の人が少なくなってくると、アフリカ大陸で奴隷を確保し、アメリカ大陸に送り込みます。
逆に、新大陸からはトマト、カボチャ、唐辛子、カカオ、ピーナッツ、タバコ、さつまいも、インゲン豆などが伝えられました。
新興国オランダが参戦
イスラム勢力をヨーロッパから追い出し、さらに新大陸に進出したスペインは、一時「太陽が沈まぬ国」といわれるほど、世界中に領土を持ちます。
しかし、16世紀末になると、領土の一部であったオランダが独立戦争をおこします。
オランダはカルバン派のプロテスタントが多かったのですが、スペインがカトリックを強制しようとしたからです。
オランダはスペインから独立し、1602年に東インド会社を設立してアジア貿易に進出しました。
貿易でガンガンもうけて、そのお金が金融事業にまわり、アムステルダムは国際的な金融として栄えます。
レンブラントやフェルメールなどが活躍したのも、この頃もオランダでした。
逆にスペインは力を失っていきます。
チェックテスト
最初は胡椒などの香辛料を確保するための冒険が、アメリカ大陸発見につながり、その後の世界を変えていくところが面白いですね。
次回は海外に出たヨーロッパ人が日本にやってきます。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!


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