【中学歴史・第57回】黒船と不平等条約

幕府に開国を迫るため浦賀沖にあらわれたペリーの艦隊(黒船来航) 中学歴史

【第50回・天保の改革】では、「ロシアをはじめとする外国の船が頻繁にやってくるようになった」という話をしました。

今回はその続き。

日本が200年以上の眠りから覚め、(強制的に)世界とつながっていく話です。

アメリカは何しに日本へ?

19世紀半ば、西へ西へと領土を広げていたアメリカはついに太平洋岸に到達します。

そして、さらなるフロンティアを求めて太平洋の先にある巨大なマーケット「中国(清)」を目指しました。

そんな状況の中、当時のアメリカで重要だったのが鯨油げいゆ1です。

産業革命を迎えた欧米では、ランプの明かりや機械の潤滑油として、クジラの油が欠かせませんでした。

北太平洋は絶好の漁場でしたが、アメリカから船を出すと燃料や食料が足りなくなります。

そこで、太平洋のちょうどいい位置にあった日本を、船の補給基地にしたかったのです。

さらに、清がアヘン戦争でイギリスに完敗したニュースは、日本だけでなくアメリカにも衝撃を与えました。

「イギリスに先を越される前に、日本と貿易して中国ルートを確保せねば!」と焦ったわけですね。

ペリーはどこからやってきた?

1853年、東インド艦隊司令長官のペリー浦賀うらが(神奈川県)に現れます。

現代の感覚だと、太平洋を渡ってきたイメージを持ちがちですが、そうではありません。

大西洋・・・を渡り、アフリカの南端を回って、アジアの西側からやってきたのです。

ペリーは通訳を介して、おそらくこんなことを伝えたのではないでしょうか。

“Friendship, commerce, and a supply of coal and provisions.” (友好、通商、そして石炭と食料の供給を求める)

前代未聞のできごとに、幕府の老中である阿部正弘あべまさひろは悩みました。

本来なら幕府が決断すべき案件ですが、清の二の舞を恐れた彼は、朝廷雄藩ゆうはん島津斉彬しまづなりあきら(薩摩藩)らにも意見を聞いてしまいました。

これによって、禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとで封じられていた朝廷の政治力が復活してしまいます。

結局、翌1854年日米和親条約にちべいわしんじょうやくを締結。

下田しもだ(静岡県)と函館はこだて(北海道)が開港されました。

なぜ下田と函館を開港?
ペリーは最初、江戸や浦賀を開港するように求めましたが、将軍のおひざもとやその近辺は断固拒否しました。伊豆半島の先にある下田はペリーからすると船でのアクセスがよく、幕府からすると江戸からほどよく離れていたため選ばれました。函館は捕鯨の補給地としては申し分ない立地であり、江戸から遠く離れていることもあって、幕府も認めました。

ハリスの脅しと「井伊直弼」の決断

日米和親条約はあくまで「休憩所」としての契約でしたが、次にやってきた総領事ハリスは「貿易」を迫ります。

この頃、清はアロー戦争で再びイギリスとフランスに敗北(1856年)。

ハリスは「今すぐ俺たちと契約しないと、もっとヤバいイギリスが軍艦で攻めてきて、ムチャクチャな条件を突きつけられるぞ。アメリカが仲介してやるから、今のうちにサインしろ」と脅します。

この難局を引き継いだのが大老の井伊直弼いいなおすけです。

できることなら、条約締結の勅許を得て、反対派に納得してもらいたかったのですが、外国人が嫌いな孝明天皇は思いのほか強硬な姿勢で、絶対認めてくれそうにありません。

仕方がないので、天皇の許しが得られないまま、1858年日米修好通商条約にちべいしゅうこうつうしょうじょうやくに調印しました。

認めざるを得なかった「不平等」

この条約に基づいて、日本はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5か国と条約を結びました(安政あんせいの五か国条約)。

この五か国は当時の世界をリードしていた強国ばかりです。

ドイツ(プロイセン)はまだ統一前で弱く、スペイン・ポルトガルはかつての勢いを失っていました。

開港の対象となったのは、函館神奈川長崎新潟兵庫の5港。2

なぜこの5港を開港?
函館は日米和親条約からの引き続きで、長崎はすでに外国との窓口となっていたこと、さらに日本海側の港も要望されたことで新潟、下田よりももっと江戸に近い場所ということで神奈川、商業の大都市である大阪、が本当はよかったけど「天皇から近いから!」という理由で少し離れた兵庫となりました。しかし、「兵庫でも京都に近いすぎる」ということで、その後もめにもめ、実際に開港されたのは1868年になってからです。

日米修好通商条約の内容はとんでもなく「不平等」でした。

  • 領事裁判権りょうじさいばんけんを認める:外国人が日本で悪いことをしても、日本が裁けない。
  • 関税自主権かんぜいじしゅけんがない:輸入品にかける税金を日本が決められない(低関税での自由貿易を無理やり認めさせられた)。
  • 最恵国待遇さいけいこくたいぐう:他国に有利な条件を与えたら、自動的に自分たちにも適用させる。

なぜこんな条件を認めたのか?

理由はシンプルで、「戦争を避けるため」です。

軍事力で勝てない以上、まずは条約を結んで国を守るしかなかったのです。

この不平等のツケは、明治以降の大きな課題となりました。

【一問一答】チェックテスト(問題・解答)

条約締結後、日本中が「開国派」と「攘夷派(外国を追い出せ派)」に分かれて大ゲンカを始めるのは、ここからの話。

どうなる江戸幕府!?

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

  1. 日本でクジラは食用ですが、欧米では燃料(油)として使われていました。 ↩︎
  2. 条約では神奈川を開港することになっていたのですが、こっそり横浜に変更します。新潟は開港するといったものの、大型の船が入るほどの港ではなかったため、実際に開港されたのは1869年になってからでした。 ↩︎

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