欧米列強と肩を並べるべく、急ぎ過ぎるほどの近代化を推し進めてきた日本。
いよいよ列強の一角である、大国ロシアと対決することになります。
戦争にいたるまでの流れと、戦争後の日本を取り巻く状況を見ていきましょう。
義和団事件で日本も出兵
19世紀末、列強による中国分割が進むなか、清(中国)の人々の不満が爆発しました。
1899年、義和団と呼ばれる宗教的な秘密結社が「扶清滅洋(清を助け、外国を追い払う)」を掲げて立ち上がります。
翌1900年には北京でドイツ公使や日本の公使館書記生が殺害され、列強各国の公使館が清国兵や民衆に囲まれる暴動にまで発展。
清の西太后までもが義和団を支持し、列強各国に宣戦布告しました(義和団事件)。
日本は列国と一緒になって連合軍を結成し、乱の鎮圧にあたります。
戦いは近代的な兵器を使用する連合軍が圧勝。
2ヵ月ほどで北京を陥落させ、翌1901年には北京議定書を結びます。
満州から撤退しないロシア
義和団事件で出兵したロシアは、乱が鎮圧された後も満州(中国東北部)から軍をひきません。
それどころか、大韓帝国の領土内に軍事基地を建設しはじめたのです。
ロシアはヨーロッパ方面での南下政策で、かつてビスマルク率いるドイツとの対立に敗れ、バルカン半島への進出を断念していました。
ヨーロッパに比べると競合が少ない東アジアで、「冬でも凍らない港」をどうしても手に入れたいと考えていたのです。
ロシアのこの動きに危機感を持ったのは、日本だけでなく、中国に権益を持つイギリスも同じでした。
イギリスはそれまで「栄光ある孤立」を保ってきましたが、1902年、利害が一致する日本と手を組むことを決めます(日英同盟)。
日英同盟の協約内容
・日英どちらかが、1ヵ国と戦争を始めた場合、中立を守る。
・日英のどちらかが、2ヵ国以上と戦争を始めた場合は、援助し、共同して戦闘にあたる。
この協約内容は、日本がロシアと戦争する上で、東アジアに権益を持つフランスやドイツが参戦しにくい状況をつくりました。
当時の欧米の情勢はこんな感じです。
- フランス、ドイツ:ロシアの味方
- イギリス:日本の味方
- アメリカ:やや日本より
「開戦か非戦か」揺れる日本の世論
ロシアとの対立に向けて、国内では「開戦か、非戦か」で議論が起こりましたが、当初は開戦慎重論が優勢でした。
政府内で特に開戦に慎重だったのが、伊藤博文です。
伊藤は「満州はロシアに譲るから、韓国は日本に」という妥協案でロシアを説得しようとしますが、ロシアはこれを却下します。
民間でも、幸徳秋水やキリスト教徒の内村鑑三らが「戦争反対」を表明していました。
一方、開戦論を強く主張したのは、有力新聞の論調と七博士の意見書でした。
新聞紙上では、開戦に反対する伊藤も非難のやり玉にあげられます。
最終的には世論は「開戦」に傾き、政府もロシアとの対決を決断します。
与謝野晶子は反戦派?好戦派?
日露戦争時の反戦論者として、よく名前があがるのが与謝野晶子です。彼女は出兵する弟の無事を願い「君死にたまふなかれ」という詩を文芸誌に発表したことで知られています。しかし、その後起こった第一次世界大戦では「いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」という好戦的な姿勢も示していて、非戦論者であったとはいいがたい側面があります。
多大な犠牲を払いながら、辛くも日本が勝利
1904年、ついに日露戦争が始まりました。
戦いは「陸」と「海」で行われましたが、「陸」の方はかなり苦戦します。
多くの人命を失いながらも、要地だった遼東半島の旅順を陥落させ、その後の奉天での会戦でも勝利。
「海」の方では、東郷平八郎率いる連合艦隊が、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破するなど、劇的な勝利を収めました。
しかし、日本の台所事情は火の車でした。
日清戦争でかかった軍費は約2.3億円でしたが、日露戦争では約18億円にふくれ上がりました。
政府はこの費用を、増税とイギリスやアメリカからの借金でなんとか工面しますが、兵力・財力ともにギリギリの状態だったのです。
ロシア側でも、皇帝の専制政治に対する反対運動が激しくなり、革命の機運が高まっている中、日本に敗北するニュースが伝わり、国内情勢は悪化していました。
ポーツマス条約と「怒り」の国民
もともと日本は戦争にあたり、短期での幕引きを狙っており、アメリカに仲裁に入ってもらえるよう、水面下で交渉していました。
1905年、アメリカ大統領セオドア・ローズベルトの仲介のもと、ポーツマス条約が結ばれます。
ポーツマス条約の内容(日本側:小村寿太郎 vs ロシア側:ウィッテ)
・韓国に対する日本の優越権を承認
・旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道利権の譲渡
・北緯50度以南の樺太の割譲
・沿海州とカムチャツカの漁業権
この条約内容には大きな問題がありました。
賠償金がゼロだったのです。
日清戦争のときは多額の賠償金を得て景気が良くなりましたが、今回は増税や人命を犠牲にしたにもかかわらず「一円ももらえないのか!」と国民が激怒。
東京で日比谷焼き打ち事件が起こるほどの混乱となりました。
日露戦争が変えた「世界」の景色
賠償金がもらえなかったことで、国内での混乱は招いたものの、「アジアの国がヨーロッパの列強に勝利した」というインパクトは強烈でした。
日本は日清戦争後とは違い、国際的な地位を確立。
1911年には関税自主権の完全回復も成し遂げます。
しかし、同時に「自分たちは強い」「アジアの他の国は違う」という優越感が生まれ、韓国への支配を強めることにもなりました。
植民地支配を受けていたインドやベトナムでも日本の勝利に勇気づけられ、独立運動を刺激しましたが、日本のその後の帝国主義的な動きを見て「欧米列強のような国が一つ追加されただけ」という、失望に変わっていきます。
【一問一答】チェックテスト(問題・解答)
日露戦争を題材にした小説やマンガ、映画などは数多くありますが、中でも特に代表的なのが司馬遼太郎の『坂の上の雲』です。
松山出身の、帝国軍人秋山兄弟や、俳人の正岡子規が活躍する物語です。
中学生が読破するにはなかなかの長さと内容ですが、機会があればぜひ一度読んでみてください。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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