緊張と緩和の繰り返した冷戦も、終わりが見えてきました。
今回は冷戦の終結から、冷戦後に世界はどう変わったのかを確認していきます。
ついに冷戦が終結
弱体化するソ連
1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻しました。
これはアフガニスタンの共産主義政権を守るためです。
冷戦時代のソ連はこうした軍事介入をよく行っていました。
ところが、このアフガン侵攻は泥沼化し、ソ連にとっての「ベトナム戦争」のようになってしまいました。
社会主義の経済は行き詰っている中で、アメリカとの軍拡競争で軍事費を使いまくっていたため、経済的にひどい状態だったのですが、このアフガン侵攻でさらに悪化します。
ベルリンの壁が崩壊
そんな中、1985年に異例の若さで政権を握ったのがゴルバチョフでした。

アフガン侵攻に加えて、ソ連経済を支えていた原油の価格が低下したことや、チェルノブイリ原発事故が起こったこともあり、「根本的な改革が必要だ」と考えます。
ゴルバチョフが行った改革をペレストロイカといいます。
東ヨーロッパ諸国をソ連陣営につなぎとめるための援助を打ち切り、各国の政治に軍事介入をしないことにしました。
「口出ししないから、みんなもう自由にしていいよ」って感じです。
すると、ハンガリーやポーランドといった東側諸国では、次々と共産主義政権が倒れていきます。
1989年12月には、冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊し、翌1990年に東西ドイツは統一されました。
マルタ会談で冷戦の終結を宣言
また、ゴルバチョフは膨大な軍事を削減するため、アメリカに歩み寄ります。
当時のアメリカ大統領はレーガンでした。
レーガンは歩み寄るゴルバチョフを最初は警戒していましたが、会談を重ね、徐々に信頼関係ができていきました。

1987年に中距離核戦力全廃条約を調印。
1988年にアフガニスタンからの撤退に合意。
1989年には地中海のマルタ島で、当時のアメリカ大統領ブッシュと会談し、冷戦の終結を宣言したのです。

1991年にはソ連が解体し、ロシア連邦やウクライナなどに分かれました。
冷戦後の世界はどう変わった?
機能しだした国連
冷戦中の国連は、常任理事国である米ソが対立し、あまり機能していませんでした。
しかし、冷戦が終わると、国連平和維持活動(PKO)が増加し、紛争の解決から、選挙の管理や警察の育成といった行政にまで担うようになりました。
日本の自衛隊にとって初となる本格的な海外派遣にもなったカンボジアPKOでは、国連が選挙を管理し、和平実現に大きく貢献しています。
G20サミットが開催
2008年9月に起こったリーマンショックへの対応をめぐり、中国やインド、ブラジルなどの新興国も加わったG20サミットが開かれました。
1975年から主要国首脳会議(サミット)は開催されていましたが、リーマンショックのような世界経済に影響を与えるトラブルは、先進国だけでは対応できなくなったためです。
EUやAPECなどの地域統合が進む
ヨーロッパではEC(ヨーロッパ共同体)をさらに発展させ、EU(ヨーロッパ連合)が1993年に発足しました。
EU加盟国内では共通の通貨であるユーロが使われるほか、出入国審査なしで国境を越えて移動できるなど、ヨーロッパ内でのつながりが強化されました。
こうしたヨーロッパの動きに、アメリカもいち早く対抗し、1988年にNAFTA(北米自由貿易協定)をつくっています。
アジアでも1989年にアジア太平洋経済協力会議(APEC)を発足させ、地域内でゆるやかに協力していこうという動きが見られました。
反グローバリズムの動きも
ただ、世界はつながっていく一方かというと、そういうわけでもありません。
イギリスは2020年にEUから離脱しました(ブレグジット)。
EUに支払っていた分担金が非常に多額であったことや、経済的に貧しい東欧の国からやってくる人たちのために賃金が上がらなかったり、仕事を奪われてしまったからです。
また、アメリカのトランプ大統領は、「アメリカファースト」をスローガンにして、保護貿易を推進しています。

地域紛争が終わらない
ユーゴスラビア紛争が勃発
米ソの対立が終わったことで、別の紛争が起こりました。
その代表的なものがユーゴスラビア紛争です。
ユーゴスラビアはもともと社会主義国家でしたが、ソ連とは距離をおいており、政治的に独立した国家でした。
そのユーゴスラビアをアメリカは共産主義の防波堤と考えて支援していました。
しかし冷戦が終わったことで、支援を打ち切られ、経済的に苦しくなります。
また、もともと他民族国家であったユーゴスラビアは、ソ連という強大な敵を前に団結していたのですが、その敵がいなくなったことでその団結が崩れました。
東欧諸国が次々と民主化していくのを間近で見て「自分たちの民族もひとつの国として独立したい」と考え始めたのです。
この紛争の結果、スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、北マケドニア、コソボの7つの国に分かれました。

イラクのクウェート侵攻と湾岸戦争
1980年から1988年にかけて、イラクはイランと戦争をしていました(イラン・イラク戦争)。
この戦争で、イラクはソ連から武器を提供してもらい、クウェートからは借金をしていました。
イラクのフセイン大統領はクウェートに侵攻することで、借金を踏み倒し、なおかつペルシャ湾に直接出られるルートを確保しようと考えます。
ソ連が健在だったときは、アメリカと対立をさけるために、クウェート侵攻を止めておくことができていました。
しかしソ連解体によって、足かせがなくなったフセインは1990年8月にクウェートに侵攻します。
国連でもイラク派兵にソ連は反対せず、1991年1月に多国籍軍がイラクを攻撃、湾岸戦争が起こりました。

アメリカで同時多発テロが勃発
湾岸戦争は1ヵ月ほどで終わりましたが、アメリカがサウジアラビアに軍を常駐させたことに、強い反感を抱いた人物がいました。
サウジアラビア大富豪の息子であるウサマ・ビン・ラディンです。
イスラム教徒にとっての聖地に、異教徒の軍が常駐していることは、彼にとって許しがたいことでした。
2001年9月11日、ビン・ラディンをリーダーとするイスラム教徒のグループは、ハイジャックした飛行機でニューヨークの世界貿易センタービルや国防総省の庁舎に突入するという、同時多発テロを起こしました(9.11事件ともいいます)。

当時のアメリカ大統領であるブッシュ(子)1は、リーダーであるビン・ラディンをかくまっているという理由から、アフガニスタンを攻撃。
さらに2003年には大量破壊兵器を保有しているとして、同時多発テロとの関連が不明であったイラクを攻撃しました(イラク戦争)。2
アフガニスタンへの攻撃も、イラク戦争も、国連決議を通したものではありません。
冷戦が終わり、現在はアメリカ対イスラム世界という、これまでになかった戦いの構図に変わってきています。
【一問一答】「冷戦の終結」のチェックテスト(問題・解答)
冷戦後に起きた東側諸国の民主化と、国際的な経済のつながり、アメリカとイスラムの戦争などで登場する、国、連合や会議、侵攻や戦争の名前をしっかり押さえておきましょう。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



コメント