【中学歴史・第19回】国風文化と浄土信仰(仮名文字・浄土教)|一問一答テスト付

平等院鳳凰堂と池のイラスト。「なむあみだぶつ」の文字入り。中学歴史の国風文化と浄土信仰の解説用アイキャッチ画像。 中学歴史

平安時代の3回目は、平安中期の文化面を取り上げます。

教科書や学習まんが、もしくは資料集などの該当ページを開いて、横に置きつつ、読んでみてください。

国風文化とは

平安時代が始まった頃は、まだ唐の影響を強く受けていました。

時期をわかりやすくいうと、嵯峨天皇、空海、菅原道真すがわらのみちざねが活躍していた頃です。

漢詩ができることが「すごい!」「えらい!」と評価される時代だったのです。

こうした中国からの影響は奈良時代からずっと続いていたのですが、平安時代が始まってしばらくすると、唐の影響を受けながらも、それを日本風にアレンジするといいますか、日本独自のものが生み出されるようになってきたのです。

それを国風文化こくふうぶんかとよんでいます。

国風文化はちょうど藤原氏による摂関政治の時期と重なっており、藤原文化という言い方をするケースもあります。

ひらがなとカタカナがつくられた

国風文化で注目すべきことは仮名文字かなもじがつくられたことです。

仮名文字というのは、平仮名と片仮名のことですね。

平仮名は漢字の形をくずして、つくられました。

例えば、「安」から「あ」をつくったり、「以」から「い」をつくったり。

片仮名は漢字の一部をとって、つくられました。

「阿」の「こざとへん」をとって「ア」とか、「伊」の「にんべん」をとって「イ」にするとか。

この仮名文字を使うことによって、日本人の感情を表現する幅が広がったんですね。

仮名文字を使った代表的な文学作品で覚えておきたいのは、この4つです。

  1. 『源氏物語』げんじものがたり紫式部むらさきしきぶが書いた、貴族たちの恋愛小説です。『源氏物語』は現代でも映画や漫画にもなっています。僕も『あさきゆめみし』(大和和紀作)は読みました。
  2. 『枕草子』まくらのそうし清少納言せいしょうなごんが書いた随筆(エッセイ)。随筆というのは、日常生活の中で、ふと自分が思ったことを気軽に書く(春は、夜明け前の空が素敵だよね!とか)文学のジャンルのことです。ちなみに清少納言は「せいしょう」「なごん」ではなく、「せい」「しょうなごん」と読んでください。
  3. 『竹取物語』たけとりものがたり:ご存じかぐや姫のお話し。作者は不明。
  4. 『古今和歌集』こきんわかしゅう:日本で初めての勅撰和歌集ちょくせんわかしゅう。勅撰和歌集というのは、天皇の命令で編纂された和歌集のことです。和歌集ですから、いろんな和歌がいっぱいのっています。選んだのは紀貫之きのつらゆきら4人。この『古今和歌集』の中に、作者はわからないのですが「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という歌が掲載されており、これが日本の国歌になったとか。

着る服にも変化が

それまで唐風だった服装が、ゆったりめになったり、模様や色が日本的なものになったりしました。

男性貴族のフォーマルな服装を「束帯」そくたいといい、そこからやや簡略化したのが「衣冠いかん」といいます。

黒い袍(ほう)を身にまとい、頭に冠を戴き、手に笏(しゃく)を持った平安時代以降の公家の正装「束帯」姿の男性のイラスト。
平安貴族の正装である束帯を着用した男性のイメージ

女性の正装は「女房装束」にょうぼうしょうぞく、一般的に十二単じゅうにひとえと言われているものです。

平安時代の国風文化を代表する女性の正装、女房装束(十二単)を身にまとい、閉じた桧扇(ひおうぎ)を手にする女性のイラスト。
平安貴族の正装である女房装束(十二単)を着用した女性のイメージ

庶民の男性は「水干」すいかんというものを着ていました。

NHKの大河ドラマ『光る君へ』のウェブサイトには、登場人物の紹介(動画)が見られます。

藤原道長役の柄本佑さんや、藤原実資役の秋山竜次さんの服装がとても参考になると思います。

芸術分野では絵巻物が登場

絵画でも、大和絵やまとえとよばれるものが出てきました。

大和絵の代表作品は四大絵巻の『源氏物語絵巻』げんじものがたりえまき『伴大納言絵巻』ばんだいなごんえまきです。

教科書にも掲載されている絵巻物ですので、ぜひチェックしておいてください。

平安時代の代表的な絵巻物『伴大納言絵巻』の一場面。応天門の変を題材に、火災を見て驚き、駆け寄ったり逃げ惑ったりする群衆の豊かな表情や動きが躍動感あふれる筆致で描かれている。
『伴大納言絵巻』(PD: Tokiwa Mitsunaga)

建築分野でおさえておきたいのは、平等院鳳凰堂びょうどういんほうおうどうと、その本尊ほんぞんである阿弥陀如来像あみだにょらいぞうです。

平等院は藤原頼通ふじわらのよりみちが宇治にあった別荘を寺としました。

浄土信仰が流行

平安時代は天台宗と真言宗の二強時代で、これらの宗派の祈とうの力で、この世の不安を取り除いたり、この世で幸せになろうという思想(現世利益げんぜりやくといいます)が流行っていました。

その一方で来世(死後の世界)に極楽浄土ごくらくじょうどで生まれ変わることを願う浄土教じょうどきょうも流行しました。

念仏(南無阿弥陀仏)をとなえて、阿弥陀如来を信仰する宗派です。

平等院鳳凰堂はこの極楽浄土をイメージして作られたと言われています。

この浄土教で有名なのが、空也くうやです。

口から仏様が六体飛び出している木像が、教科書なんかに載っているかもしれません。

空也は京都の市で浄土教を説いたので、市聖いちのひじりと呼ばれました。

浄土教は貴族だけでなく、一般民衆にも、また京都だけでなく、地方にも広がっていきました。

【一問一答】「国風文化と浄土信仰」のチェックテスト(問題・解答)

京都に住んでいますが、平等院鳳凰堂に行ったのは、記憶にある限り1回だけです。

本尊の阿弥陀如来像は、人数制限とかあって、見ることができませんでした…。

その代わり、鳳翔館というミュージアムをじっくり見て、帰りにお土産コーナーでエコバックを買いました。

宇治にありますので、京都市内からは少し離れていますが、お勧めの観光スポットです。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

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