明治維新で新しい国づくりが始まりましたが、「誰が政治を決めるのか?」をめぐって、国を揺るがす大きな争いが起きていました。
武力から言論へ。
国民が政治に参加する権利を求めた「自由民権運動」を確認していきましょう。
自由民権運動の始まり:武力ではなく「言葉」の戦いへ
明治政府の中では、武力で朝鮮に開国を迫るべきだという「征韓論」をめぐって激しい対立が起きました。
結果として、大久保利通ら慎重派が勝利し、敗れた西郷隆盛や板垣退助らは政府を去ることになります。
民撰議院設立の建白書と立志社
政府を離れた板垣たちは、「武力」ではなく「言葉」で政府に対抗しようと考えました。
1874年、板垣や後藤象二郎ら8名は「有司専制(一部の役人だけの政治)をやめ、国民が選んだ議員による議会を作るべきだ!」という内容の民撰議院設立の建白書を提出します。1
この出来事が自由民権運動の出発点となりました。
板垣は故郷の高知で立志社を、さらに全国組織の愛国社を大阪で結成しました。
政府は新聞紙条例などで言論を抑え込もうとしますが、運動の火は消えませんでした。
不平士族の反乱:武士の時代の終わり
一方で、特権を奪われた元武士(不平士族)たちは、武器を手に取り各地で反乱を起こしました。
各地で連鎖する士族の怒り
- 佐賀の乱:1874年、江藤新平らが中心となって反乱。
- 神風連の乱(熊本):1876年10月24日、廃刀令2に激怒した士族が「日本古来の精神」を掲げて襲撃。
- 秋月の乱(福岡)・萩の乱(山口):神風連に呼応して発生(秋月の乱が10月27日、萩の乱が10月28日)。武士の特権はく奪や生活苦などが重なり、政府の近代化政策への不満が爆発しました。
最後の内乱、西南戦争
1877年、最大にして最後の内乱、西南戦争が起こります。
西郷隆盛を担ぎ出した薩摩軍も、徴兵制による近代的な装備を持つ政府軍に敗北。
西郷の死とともに、武力で政府を変えようとする時代は幕を閉じました。

地方から国会へ:豪農たちの政治参加
西南戦争後、政府はたびたびおこる農民一揆や自由民権運動の高まりを抑えるために動きます。
地方政治に関わる新しい法律を3つ施行し、選挙による議会や地方税の仕組みを整えました。
しかし、これがきっかけで、政治の流れが大きく変わります。
地方自治と豪農の目覚め
地方に府県会(いまの県議会)が設置されると、地方の豊かな農民(豪農)たちが政治に強い関心を持つようになりました。
彼らは中江兆民が紹介したルソーの思想などを学び、憲法草案(私擬憲法)を自分たちで作り始めます。
- 五日市憲法:東京の五日市町(現:あきる野市)で見つかった、基本的人権を重視した草案。
- 植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」:抵抗権や革命権まで認める急進的な内容。3
国会期成同盟の結成
1880年、各地の結社が大阪に集まり、国会期成同盟を結成。
運動の主役は士族から、知識を持った農民や市民へと広がっていったのです。
明治十四年の政変と政党の誕生
1881年、政府内で「すぐに国会を作るべきだ!」と主張した大隈重信が、政敵の伊藤博文らによって政府を追い出されます(明治十四年の政変)。4
国会開設の約束
明治十四年の政変の原因となったのが、政府の役人が国有財産を安く払い下げようとした開拓使官有物払い下げ事件。
これは薩摩藩出身の黒田清隆が、同じ郷里の五代友厚に、開拓使の資産だった工場などを格安で払い下げることを決めたところ、世論の激しい非難を浴びた事件です。
伊藤博文はこの世論を裏であおったのが大隈だと考え、政府から追い出したわけです。
伊藤らは世論の批判をかわすことと、自分たちが主導して立憲政治をつくっていくことをねらい、「10年後に国会を作る」という国会開設の勅諭を出しました。
日本初の政党たち
1890年に国会が開かれることが決まり、自由民権運動の活動家たちは、本格的な政党を誕生させます。
| 政党名 | 党首 | 支持層 | 思想・影響を受けた国 |
| 自由党 | 板垣退助 | 農民・士族 | フランス流。主権在民など激進的。 |
| 立憲改進党 | 大隈重信 | 都市の実業家・知識人 | イギリス流。穏健な立憲君主制。 |
| 立憲帝政党 | 福地源一郎 | 政府の役人など | 政府支持。天皇の権限を強くする。 |
激化事件:追い詰められた民衆の爆発
1880年代半ば、深刻な不況が農村を襲いました。
生活に困った農民と自由党員が結びつき、各地で激化事件が起きます。
- 福島事件(1882年):県令(知事)三島通庸の強圧的な政治に対し、自由党員が抵抗。
- 加波山事件(1884年):茨城県で、急進的な自由党員が政府転覆を狙い爆弾で襲撃を計画。
- 秩父事件(1884年):埼玉県で借金に苦しむ数千人の農民が「困民党」を結成して武装蜂起。軍隊が出動する大事件となりました。
これらの事件により、政府の弾圧はさらに厳しくなり、自由党は解散に追い込まれます。
自由民権運動は西南戦争などと違い、言論活動のイメージを持ちがちですが、かなり血なまぐさい事件も起きていたんですね。
【一問一答】チェックテスト(問題・解答)
維新三傑のうち、1877年の西南戦争で西郷が、その戦争の最中に木戸孝允が、そのほぼ1年後に大久保が亡くなり、倒幕から維新にかけての中心メンバーが変わっていきます。
次回は憲法や国会の話。
主人公は新しい政府の中心人物である伊藤博文です。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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