【中学歴史・第78回】社会運動の広がり|一問一答テスト付

雑誌『青鞜』に「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である」という文章を寄せた平塚らいてう(ひらつからいちょう) 中学歴史

大正時代、日本には「デモクラシー(民主主義)」という新しい風が吹きました。

まだ江戸や明治の古い考え方が残る時代の中で、反発にあいながらも、それぞれが新しい考えを主張しはじめます。

労働者、農民、社会主義者らによる社会運動

第一次世界大戦後は、中国の辛亥革命やロシア革命の影響もあり、社会運動が日本でも活発になりました。

待遇改善に向けて、労働運動が本格的にスタート

日露戦争や第一次世界大戦後の日本では、産業の発展とともに、工場で働く労働者たちの数が増えていきました。

しかし、労働者の多くが厳しい労働環境下にあり、彼らは待遇改善を求めるようになります。

そこで生まれたのが労働運動です。

1912年、鈴木文治すずきぶんじらが友愛会ゆうあいかいを結成し、労働者の地位向上を目指しました。

当初は穏健な団体だった友愛会でしたが、やがて資本家との闘争を目的として日本労働総同盟にほんろうどうそうどうめいへと発展1

賃金の引き上げや労働時間の短縮を求める労働争議ろうどうそうぎを各地で展開します。2

1920年には日本初のメーデー3が開催され、労働者たちが団結して街を練り歩く姿が見られるようになりました。

農村に広がる小作人の主張

街だけでなく、農村でも大きな変化が起きました。

高い小作料に苦しむ農民たちは、地主に小作料の減額を求める小作争議こさくそうぎを激化させます。

そして1922年、杉山元治郎すぎやまもとじろう賀川豊彦かがわとよひこらによって日本農民組合にほんのうみんくみあいが結成され、全国的な組織へと広がっていきました。

社会主義・共産主義活動も活発化

大逆事件のあと、社会主義運動は「冬の時代」に入っていました。

労働者や農民の運動が起きた背景として、ロシア革命の影響もあったわけですが、その影響を受けた思想家たちの社会主義活動も、同様に活発化していきます。

まず貧しい農民や資産を持たない労働者のための無産政党をつくろうとする動きから、1920年に日本社会主義同盟にほんしゃかいしゅぎどうめいが結成。

さらに徹底した平等を目指す共産主義きょうさんしゅぎの考え方から、1922年に日本共産党にほんきょうさんとうが非合法(秘密裏ひみつり)に結成されます。

この後、日本共産党は天皇制の廃止や大地主の土地没収などを目指して、非合法活動を行っていくことになります。

差別撤廃を求めた運動

明治時代に解放令かいほうれいが出されたものの、依然として厳しい差別にさらされていた人々は、自らの力で名誉を回復しようと立ち上がります。

1922年、京都の岡崎公会堂で結成されたのが全国水平社ぜんこくすいへいしゃです。

この部落解放運動ぶらくかいほううんどうは、日本で初めての被差別当事者による人権宣言として歴史に刻まれました。

また、北の大地でも動きがありました。

政府の同化政策によって独自の文化や生活を脅かされていたアイヌ民族の人々は、1930年に北海道アイヌ協会を設立し、自分たちの権利と誇りを取り戻すための活動を本格化させました。

大正時代に登場した「新しい女」たち

女性たちの戦いもありました。

当時は女性には参政権がなく、政治的な自由も制限されていました。

女性は家庭に入り「夫に対しては良き妻、子に対しては賢い母」である良妻賢母主義りょうさいけんぼしゅぎの考えが一般的だったんです。

そんな中「元始、女性は太陽であった」という有名な言葉とともに、平塚らいてうひらつからいちょうらが青鞜社せいとうしゃを結成。

新しい女」として自立した女性の生き方を世に問いました。

フェミニズムの先駆けとなった、若かりし頃の平塚らいてう(ひらつからいちょう)
大正時代に女性解放運動の中心人物となった平塚らいてう。※AIでカラー化しています

その後、平塚らいてうは市川房枝いちかわふさえらと共に新婦人協会しんふじんきょうかいを設立。

女性の政治活動を禁止していた法律の改正を訴え、1922年に女性の政治演説会への参加が認められるようになりました。

男子普通選挙をついに実現!

選挙法を改正した原内閣のあと、一時普通選挙に向けた動きもありましたが、なかなかうまく進みませんでした。

そんな中、1924年に憲政会けんせいかい党首の加藤高明かとうたかあきを首相とする連立内閣が誕生します。

AIによってカラー化した加藤高明の写真
憲政会党首の加藤高明。普通選挙法を制定する一方で、社会主義運動を抑えるための治安維持法も制定しました
※AIでカラー化しています

これは「憲法に基づいた政治を取り戻そう」という第二次護憲運動だいにじごけんうんどうの結果であり、ここからしばらくの間、衆議院の第一党の党首が首相を務める「憲政の常道けんせいのじょうどう」という慣例が定着することになります。

この加藤内閣の最大の成果は1925年に成立させた普通選挙法ふつうせんきょほうです。

これにより、それまで納税額による制限があった選挙権が、満25歳以上の男子全員に与えられることになりました。

ついに、お金のあるなしに関わらず、(男性だけですが)選挙権を得ることができたわけです。

■有権者数の割合の推移(総務省資料ほか)

全人口に占める
有権者の割合
1.1%2.2%5.5%20.0%48.7%83.6%
法改正年188919001919192519452015
実施年189019021920192819462016
性別・年齢(以上)男子25歳男子25歳男子25歳男子25歳男女20歳男女18歳
直接国税15円10円3円制限なし制限なし制限なし
内閣黒田山県加藤高明幣原安倍
1925年の普通選挙法により、一気に全人口の20%まで増えました

社会主義・共産主義を取り締まる治安維持法も成立

選挙権を広げる一方で、政府は社会主義や共産主義の広がりを厳しく監視しようと考えました。

普通選挙法とセットで1925年に成立したのが、悪名高い治安維持法ちあんいじほうです。

これは、国の体制を変えようとする動きを取り締まるための法律で、後の時代に人々の自由を厳しく制限する影を落とすことになります。

【一問一答】チェックテスト(問題・解答)

海外では革命が起き、国内でも米騒動や大正政変などを経験したことによって、「声をあげて行動すれば世の中が変わる」という感覚が、民衆の間にも広がっていったんですね。

大正時代の社会運動にはいろんなものがありますので「誰が」「どのような訴えをしたのか」を自分なりに整理しておきましょう(今回の解説では7つほど取り上げています)。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

  1. 1921年に労働組合の全国組織として成立しました。 ↩︎
  2. 官営の八幡製鉄所でもストライキが行われました。 ↩︎
  3. メーデー(May Day)は毎年5月1日に行われる労働者の祭典です。日本では1920年5月2日に上野公園で開催されたのが最初といわれています。 ↩︎

解説文やプリントの効率的な使い方はこちらからご確認いただけます。

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