【中学歴史・第81回】世界恐慌とブロック経済|一問一答テスト付

「狂騒の20年代から世界恐慌へ」というタイトル入りのイラスト。仕事を探す看板を下げた男性たちや、リンゴを売る女性、株価大暴落を報じる新聞を持つ人など、1930年代アメリカの街角の様子。 中学歴史

第一次世界大戦のおかげで景気がよくなった国は2つあります。

ひとつは日本。

もうひとつはアメリカです。

「狂騒の20年代」から「世界恐慌」へ

経済が好調なアメリカがドイツに資金を提供

第一次世界大戦の戦場は、主にヨーロッパです。

敗戦国のドイツはもちろん、勝ったイギリスやフランスもかなりの打撃を受けました。

フランスは巨額の賠償金をドイツに払わせようとしますが、金額が大きすぎて支払いが滞ってしまいます。

そこに救いの手を差し伸べたのが、アメリカでした。

アメリカはドイツに資金を提供し、ドイツはその資金を利用して産業を活性化させ、そこから生み出される利益で、フランスやイギリスに賠償金を支払っていく流れができました。

アメリカは第一次世界大戦で自国が戦場にならず、また参戦した期間も短かったため、戦争の被害が少なかったのです。

アメリカ経済は好調でした。

自動車が大量に生産され、ラジオや映画が普及。

「狂騒の20年代」といわれるほど、アメリカは絶好調の時代を迎えます。

1926年のニューヨーク・ヤンキースのチーム写真。ベーブ・ルースらスター選手が並ぶ。世界恐慌前の「狂騒の20年代」におけるアメリカの繁栄と娯楽の象徴。
1920年代、野球は最も人気のあるスポーツでした。写真はニューヨークヤンキースのメンバー。3列目中央には伝説的プレーヤーのベーブ・ルースもいます(PD:Bain News Service, Library of Congress)

「暗黒の木曜日」がやってきた

しかし、ヨーロッパ諸国が持ち直して、生産力が上がってくると、アメリカ国内で製品が余ってくるようになりました。

また、好調な経済がゆえに、株式投資への熱が異常に高まってもいました。

世界恐慌時にニューヨークのアメリカン・ユニオン・バンクへ押し寄せ、預金の引き出しを待つ人々の群衆(カラー化)。
世界恐慌時にニューヨークのアメリカン・ユニオン・バンクへ押し寄せ、預金の引き出しを待つ人々の群衆(AIでカラー化しています)

1929年10月24日の木曜日。

ニューヨークの株式市場で大暴落が発生します。

株式の下落はとどまらず、多くの銀行が破綻。

すると銀行から資金を借りられなくなった多くの企業が倒産。

倒産で失業者が増えると、モノが売れなくなり、さらに企業が倒産。

最悪の悪循環に入っていきました。

恐慌の波は世界にも波及

アメリカから資金提供を受けていたドイツの経済を直撃します。

世界恐慌の翌年の1930年には失業者が300万人を超え、工業生産も大幅にダウンしました。

ドイツの経済悪化は、フランスやイギリスにも影響が広がりました。

もちろん日本にも。

この世界的に広がった深刻な不況を世界恐慌といいます。

アメリカはニューディール政策で活路を見出す

1933年に大統領に就任したフランクリン・ローズベルト(ルーズベルト)は、積極的に経済に介入する「ニューディール政策」を実施しました。

アメリカのニューディール政策とは?
ダム建設などの大規模な公共事業で仕事を「生みだし」、失業者を救済。
・農家に補助金を出して、生産を減らし、農産物の価格を上げる。
・工場の生産量や労働時間を減らし、企業の利益と労働者の賃金を守る。

また、アメリカは自国の産業を守るために、輸入品に対して高い関税をかける「保護貿易」の姿勢を強めました。

日本はアメリカに生糸をたくさん買ってもらっていましたが、景気悪化とともに代用品であるナイロンが普及し、日本の農村も深刻な不況(農業恐慌)に陥りました。

アメリカの経済政策は一定の成果が上がりましたが、日本のようにアメリカに輸出していた国は大打撃を受けました。

「持てる国」と「持たざる国」の違い

植民地を多く持つ国は…

イギリスとフランスは、世界恐慌に対して「自分たちだけの経済圏」をつくることで乗り切ろうとします。

ブロック経済とは?
本国と植民地でひとつの経済圏をつくり、外国に対して高い関税をかけて、輸入品が入ってこないようにする経済体制のこと。

ブロック経済は、イギリスやフランスのように海外に多くの植民地を持っているからこそできる経済体制です。

海外に植民地を多く持たない国は…

一方、日本、ドイツ、イタリアは海外にイギリスやフランスほど植民地を持っていませんでした。

そのため新たな領土を獲得しようと目論んだわけです。

前者の国々を「持てる国」、後者の国々を「持たざる国」と呼ぶことがありますが、この2つのグループがやがて対立していくことになります。

第一次世界大戦後の国際協調や軍縮の時代は終わり、世界は徐々に暗い時代に入っていくことになります。

世界恐慌の影響を受けなかったソ連

ソ連はレーニンの死後、指導者の地位を得たスターリンが、1928年から五か年計画をはじめていました。

五か年計画とは?
政府が5年単位で生産目標を決め、資源や労働力を集中させる計画経済です。農業の集団化と重化学工業化を強引に進めた結果、失業者はゼロとなり、ソ連は短期間で世界有数の工業国へと急成長しました。

工業化に必要な機械を外国から買うために、穀物を輸出しましたが、その中には自国の農民が食べる分まで入っていました。

また不作であっても、計画を達成するために厳しいノルマが課せられました。

1931年のソ連のプロパガンダポスター。赤い矢印と「2+2=5」という大きな数字、工業地帯の写真がコラージュされ、五か年計画の早期達成を呼びかけているデザイン。
「労働者の熱意があれば、5年かかる計画も4年(2+2)でやり遂げられる!」と、五か年計画の早期達成を熱烈に呼びかけた1931年のソ連のポスター。(PD:Yakov Guminer , Wikimedia Commons)

その結果、餓死する人が出たり、スターリンの方針に反対して処刑されたりする人が続出しました。

アメリカやイギリス、フランスと経済的なつながりが薄く、独自の路線を取っていたため、ソ連は世界恐慌の波に巻き込まれませんでしたが、五か年計画の中で世界恐慌並みの悲劇に見舞われていたのです。

世界恐慌後に各国が採った対策

グループ国名対策・状況
持てる国イギリス・フランスブロック経済(自分たちだけで固まる)
持てる国アメリカニューディール政策(国内の仕事を増やす)
持たざる国日本・ドイツ・イタリア新たな領土の獲得(植民地が少ないため)
独自路線ソ連五か年計画(世界恐慌の影響を受けない)

【一問一答】「世界恐慌とブロック経済」のチェックテスト(問題・解答)

あまり知られていませんが、日本も「円ブロック」という経済圏をつくりました。

しかし、円ブロックは経済圏としては小さく、また資源に乏しいためイギリスやフランスほどの効果がありませんでした。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

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