敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のもとで「非軍事化」と「民主化」が進められた日本。
しかし、冷戦の激化が、日本の歩む道を大きく変えていくことになります。
占領政策の転換と朝鮮戦争
当初、GHQは日本を二度と戦争ができない国にする方針を取っていました。
ところが、中国で共産党政権が誕生したあたりから、アメリカの考え方が変わってきます。
アメリカを中心とする資本主義陣営と、ソ連を中心とする共産主義陣営が対立する「冷戦」が激化する中で、アメリカは日本を「共産主義の防波堤」にしようとしたんですね。
戦後進めていた「非軍事化」と「民主化」はもう一定の成果が出たとして、それまで奨励されていた労働運動が抑え込まれ、逆に追放されていた軍国主義者(公職追放された人々)が復帰するなど、占領政策を180度転換しました。
そんな中、1950年に朝鮮戦争が勃発。
日本にいたアメリカ軍が朝鮮半島へ出動したため、国内の治安を守る名目で警察予備隊が創設されました。
これは1952年に保安隊、1954年には自衛隊へと発展します。
戦前に戻るようなこの動きは「逆コース」と呼ばれてました。
朝鮮戦争で日本の景気がよくなった!?
朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍から軍需物資の注文が大量に入り、戦後落ち込んでいた経済が好況に沸きました。これを「特需景気」といい、経済の復興の強力なエンジンとなりました。
サンフランシスコ平和条約と安保条約
単独講和か、全面講和か
イタリアやドイツに比べると、同じ敗戦国でありながら、日本の主権の回復は遅れており、なかなかできずにいました。
これは日本の扱いについて、米ソの間で綱引きがあったことや、国内でも講和の仕方をめぐって、意見の対立があったためです。
吉田茂首相は、アメリカなど多くの国と早く講和を結ぶべきだという「単独講和」を主張。
これに対し、ソ連など全ての国と結ぶべきであるとする「全面講和」を主張する人々もいました。
吉田は「現時点で全面講和などできるわけがない」という考えだったため、単独講和の道を押し通します。
1951年9月8日、サンフランシスコ講和会議が開かれ、日本は48カ国とサンフランシスコ平和条約に調印しました。

この会議に中国は招かれておらず、ソ連などの東側諸国は会議に参加したものの調印はしませんでした。
さらにインドやビルマなどは出席を拒否し、調印した国でも賠償金の問題が解決していなかったため承認を遅らせた国もありました。
この条約が1952年4月28日に発効したことで、日本はついに主権を回復しました。
ただし、沖縄や小笠原諸島などは引き続きアメリカの支配下に置かれました。
平和条約と同時に結んだ安保条約
サンフランシスコ平和条約の調印と同じ日(1951年9月8日)に、吉田は日米安全保障条約にも調印しました。
吉田の狙いは「軍事費を節約して、その分を経済復興にまわす」という、極めて現実的なものでした。
これにより、日本が独立した後も、アメリカ軍が日本国内に基地を持ち続けることが決まったのです。
ただ、この時に結んだ安保条約は「アメリカが日本を守る義務」や「条約の期限」などが明記されていませんでした。
55年体制の成立と安保闘争
第五福竜丸事件が起きる
冷戦期は、アメリカとソ連それぞれが核兵器の開発をさかんに行っていました。
そんな中、太平洋のビキニ環礁で重大な事件が起こります。
1954年にアメリカが水爆実験を行った際、漁船「第五福竜丸」の乗組員が水爆による「死の灰」を浴び、被ばくしてしまいます。1

この悲劇から全国で原水爆禁止運動が爆発的に広まりました。
この「平和」への強い願いは、「逆コース」を進んでいた当時の政治に大きな影響を与えます。
社会党などの革新勢力が、アメリカに追随し、自衛隊を強化しようとする吉田内閣への批判を強めていったのです。
保守勢力 vs 革新勢力
憲法改正や、再軍備もしくは自衛隊の強化を唱える「保守勢力」と、平和憲法を守り、軍事化に反対する「革新勢力」との対立が鮮明になります。2
1955年、分裂していた革新勢力が一つにまとまると、これに危機感を抱いた経済界からの後押しもあり、バラバラだった保守勢力も合流して自由民主党(自民党)を結成しました(保守合同)。
こうして「自民党が政権を握り、社会党が最大野党として対峙する」という「55年体制」が成立し、その後38年間続くことになります。
闘争に発展した新しい安保条約
この体制下で、岸信介内閣は1960年に安保条約の改定に踏み切ります。
新しい条約では「日本が攻撃されたら日米が共同で戦う」「期限は10年。ただし自動更新」という内容が盛り込まれました。
これに革新団体や学生団体は「アメリカの戦争に日本が自動的に巻き込まれるのでは?」と強く反発します。
さらに「国会で強行採決をした」と猛烈に抗議。
これが戦後最大のデモ、安保闘争へとつながったのです。
混乱の中、条約は改定されましたが、岸内閣はこの騒動の責任を取って退陣しました。

【一問一答】「主権の回復」のチェックテスト(問題・解答)
保守や革新など、ちょっと難しい言葉は、いったん自分が理解できる簡単な言葉でイメージしておきましょう。
こうした言葉はニュースで度々目にすることがありますので、そこで自分なりのイメージを補強していくといいですよ。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!


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