朝鮮戦争による「特需景気」により、経済が持ち直した日本は、本格的な経済成長段階へと入っていきます。
その一方で、さまざまな問題も出てきました。
今回は1950年代から1970年代にかけて起こった「プラス面」と「マイナス面」を確認していきましょう。
高度経済成長とは
1955年から1973年にかけて、日本の経済は世界でも類を見ないスピードで成長しました。
これを高度経済成長と呼びます。
所得倍増計画と技術革新
1960年に起きた安保闘争の責任を取り、岸信介首相は辞任しました。
その後を継いだのが池田勇人です。

彼は「10年間で国民の月給を2倍にする」という所得倍増計画を打ち出しました。
この時代の政治家は「国家のあるべき姿を語る」ことを理想としており、「経済(お金)の話をするのはあまりよくない」と考えていた人が多かったのですが、池田は違いました。
池田の政策は「安保闘争のようにデモをするよりも、そのパワーを働いて豊かになることに向けよう」という風に、国民の意識を変えるものだったのです。
重化学工業の発達
池田は京浜、中京、阪神、北九州といった工業地帯に加えて、鹿島や東海、瀬戸内といった工業地域も加えた、太平洋ベルトを形成しようとしました。
臨海部には製鉄所や石油コンビナートが次々と建設され、特に鉄鋼や造船を中心とした重化学工業が大きく成長しました。
地理の授業で必ず習う「太平洋ベルト地帯」はこうして作られたんですね。
高度経済成長の理由は?
教育水準の高さによる技術革新
日本人は江戸時代より、読み書きや計算といった基礎学力が高く、新しい技術書を読んだり、技術を理解したりする力に長けていました。
また中学までの義務教育が徹底されていたこともあり、中学を卒業した若者たちは「金の卵」と呼ばれ、質の高い労働力となりました。
さらに高校や大学への進学率も上がり、技術の研究や開発を行う人材が次々と輩出されたことで、技術革新が進み、高い成長を遂げることができました。
貯蓄好きの日本人が支えた設備投資
今でもそうですが、日本人は貯金が大好きです。
郵便局や銀行に預けられたお金が、国や銀行を通じて企業に投資され、その投資によって新しい設備を購入し、生産を増やすという流れを生み出すことができました。
石油が安く手に入るようなった
中東で油田が次々と見つかり、石油が安く手に入るようになりました。
それまでの石炭に代わって、エネルギーの主役が石油になる「エネルギー革命」が起こりました。

GNPで世界第2位に
1968年には日本のGNP(国民総生産)が、資本主義国の中でアメリカに次ぐ世界第2位となりました。1
また、国際通貨基金や(IMF)や、GATTといった貿易や為替の自由化を推進する国際的な組織にも加盟し、日本は国際経済の表舞台へと復帰したのです。
高度経済成長期における国民生活の変化
経済が豊かになるにつれ、日本人の生活スタイルも劇的に変化しました。
生活の電化・都市化・洋風化
1950年代後半、人々の憧れだったのが三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)です。
核家族化が進んだこともあり、都市部では団地での生活が普及しました。
食事が洋風化し、お米の消費量が減っていったのもこの時期です。
国際イベントの開催
1964年にはアジア初の東京オリンピックが開催され、これに合わせて東海道新幹線や高速道路などのインフラ整備が急ピッチで進みました。

ちなみにパラリンピックも東京で開催されたのですが、現在のように同じ都市で続けて開催されたのはこの東京オリンピックが初めてでした。
1970年には大阪で日本万国博覧会(大阪万博)が開催されます。2
五輪と万博、それぞれの開催年も覚えておきましょう。
公害問題と社会の変化
一方で、急速な工業化は深刻な公害をもたらしました。
水俣病などの四大公害裁判が注目される中、佐藤栄作内閣のもとで1967年に公害対策基本法が制定され、1971年には環境庁(現在の環境省)が設置されました。
また、都市への人口集中による過密化と、農村部での人口激減による過疎化という新たな社会問題も発生しました。
経済大国日本と新たな課題
順調に見えた経済成長も、「2つのショック」をきっかけに大きな転換期を迎えます。
ドルと円の交換比率が変わった「ドル・ショック」
高度経済成長期は、ドルと円の交換比率が決まっており、1ドルは360円でした。
今よりもずっと円の価値が低く(円安に)設定されていたため、輸出に非常に有利でした。
しかしアメリカ大統領のニクソンがドル政策を転換したことをきっかけに、国際通貨は変動相場制に移行していきました。
その結果、円高が進み、輸出産業を頼りにしていた日本は打撃を受けます。
円高だとなぜ輸出産業は不利なのか?
例えば、ある製品は日本で作り、アメリカに輸出して「ひとつ1ドル」で販売するとします。1ドル=360円の交換比率なら、360円の売り上げになりますが、もし1ドル=250円の交換比率の場合は250円の売り上げにしかなりません。
石油危機(オイルショック)
1973年、第四次中東戦争をきっかけに原油価格が高騰し、世界を巻き込んだ石油危機(オイルショック)が起こりました。
石油を原料とする製品が値上がりし、流言を信じた人たちによってトイレットペーパーが買いだめされるなど、パニック状態になりました…。
円高と石油不足という2つの危機によって、日本は戦後初のマイナス成長となり、高度経済成長はストップしました。
不況から抜け出し、新たな経済成長段階へ
しかし、企業は雇用調整や、生き残りをかけて徹底した省エネルギー化に取り組み、先進諸国の中でもいち早く不況から脱出します。
高い技術力で、燃費の良い自動車や、高性能な電化製品を開発し、新たな輸出品の目玉としたのです。
その主な相手先はアメリカでした。
貿易摩擦の発生
日本はアメリカとの貿易で、貿易黒字を生み出しましたが、アメリカは逆に貿易赤字となります。
アメリカ国内の自動車が売れなくなったとして、ジャパンバッシングが起こりました。
日本経済の好調は、貿易摩擦という新たな対立を引き起こすことになったのです。

【一問一答】「高度経済成長」のチェックテスト(問題・解答)
1956年の『経済白書』の序文には「もはや戦後ではない」という一節があります。
戦後復興の時代から抜け出し、新しい成長段階に入っていくこの時代を象徴する言葉として、よく使われていますので、チェックしておいてください。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!


コメント