【中学歴史・第97回】冷戦後の日本(PKO・非自民政権)|一問一答テスト付

「自衛隊が海外に」というテキストとともに、砂漠地帯で道路整備などのPKO活動に従事する自衛官のイラスト 中学歴史

昭和が終わったら、同じ頃に冷戦も終わり、いよいよ平成の時代です。

平成に入ってからの外交や経済について、チェックしていきましょう。

PKOに自衛隊を派遣

自衛隊の海外派遣という難問

戦後から現在にいたるまで、ずっと問題になってきたのが、憲法9条と自衛隊の関係です。

冷戦後の地域紛争において軍事的な協力を求められても、自衛隊を海外に派遣することには、日本国内ではかなり抵抗感がありました。

しかし、湾岸戦争わんがんせんそうを機に風向きが変わります。

日本は湾岸戦争で軍隊の派遣こそしなかったものの、130億ドル(約1兆7000億円)という巨額の経済援助を行いました。

この日本の援助に「アメリカの反応が冷ややかだ」として、政府を批判する声が上がったのです。

平和主義をうたった日本国憲法は、もともとアメリカが強引に提案してきたものなのですが、その後アメリカはその方針を180度転換し、憲法9条を無視するような対応を取りつづけました。

憲法や戦争に関わるだけに、この問題はもめにもめ、最終的には国連の平和維持活動(PKO)に自衛隊を派遣することになりました。

日本の陸上自衛隊員の迷彩制服の左胸。日本国旗パッチ、空挺バッジ、特殊部隊バッジ、そして『INOUE』という名札が見える。
イラクでの陸上自衛隊制服(PD:Peter Rimar)

海外で広がる自衛隊の活躍

自衛隊のPKO参加は、1992年のカンボジアから始まり、その後世界各地で展開されることとなります。

自衛隊の主要なPKO派遣実績(カンボジア、南スーダンなど)を示した世界地図
自衛隊の主なPKO派遣実績。この地域以外にも、エジプトやネパールなどにも派遣されています

東アジアでの外交問題

冷戦は終わりましたが、中国と台湾、北朝鮮と韓国など、戦後におきた分断がまだ解決していません。

北朝鮮が行っている核兵器開発や、日本人拉致問題にほんじんらちもんだいも、具体的な打ち手がないままです。1

北方領土、竹島などの領土問題も、未解決です。

アメリカとの同盟関係

日本は今も日米安全保障条約によって、アメリカと同盟関係にあります。

ただ、この同盟の是非については、現在も意見が分かれるところです。

アメリカとの同盟関係で問題になっているのは、下記の2点です。

  • アメリカが抱える紛争に日本は巻き込まれる危険性
  • 日本国内、特に沖縄にある米軍基地をめぐるトラブル

4回にわたる政権交代

非自民の連立政権が誕生

1955年から続いていた「55年体制」は、1993年に終わりを迎えます。

自民党が分裂し、選挙で大敗北したのです。

日本新党の細川護熙ほそかわもりひろを首相とする、連立政権が誕生しました。

1993年のAPEC首脳会議にて、演説台に立つビル・クリントン米大統領と、その隣でマフラーを巻き穏やかな表情を浮かべる細川護煕首相。背景にはシアトルの海が広がっている。
1993年APEC首脳会議にて、細川護煕首相(左)ビル・クリントン大統領(右)(PD:Ralph Alswang/AIにより高画質化)

細川は「政治改革」を訴えて、小選挙区比例代表並立制しょうせんきょくひれいだいひょうへいりつせいを導入しました。

「55年体制」を終わらせ、自民党が下野げや(与党から野党になること)したのは、汚職事件が続いたことなどもありましたが、直接のきっかけは自民党の小沢一郎おざわいちろうでした。

彼はもともと、田中角栄たなかかくえい竹下登たけしたのぼるという自民党の大物政治家の派閥に入っており、次世代の自民党を担う若手のホープでした。

選挙に非常に強く、「自民党の倒し方」を知り尽くしていました。

その小沢が自民党を見限り、新しい政治体制を目指したことで、政権交代を実現したのです。

自民党が政権を奪還

しかし非自民による連立政権は、あまり長くは続きませんでした。

政権内で反小沢グループができていまい、内部分裂を起こしてしまったのです。

自民党は長く政権を担ってきただけに、さすがとでもいうべき戦術を取りました。

長年敵対していた社会党と組んで、1994年に政権を奪い返します。

この時の首相は社会党の村山富市でしたが、1996年には自民党総裁の橋本龍太郎が引き継ぎます。

もう自民党(保守)と社会党(革新)で争う時代ではなくなっていたのですね。

民主党政権が誕生するが…

2001年に誕生した小泉純一郎こいずみじゅんいちろう内閣は「構造改革」を訴えて、郵政事業の民営化規制緩和きせいかんわに取り組みます。

ホワイトハウスのサウスローンで、演台の後ろに並んで立つ小泉純一郎首相とジョージ・W・ブッシュ大統領
ホワイトハウスを訪問し、ブッシュ大統領(右)と会談する小泉首相(PD:Paul Morse / White House/2006年6月/AIにより高画質化)

小泉首相はかなり人気があったのですが、その後を継いだ首相がいずれも短命に終わったことから、自民党が失速してしまいます。

ここで小沢一郎がまた動きます。

自らが代表代行であった民主党を、選挙で勝てる政党に変えました。

2009年の衆議院議員選挙で圧勝し、鳩山由紀夫はとやまゆきお内閣を誕生させたのです。

しかし、この民主党政権も短命に終わりました。

政権を奪ってはみたものの、沖縄の基地問題などで公約を果たせず、2011年の東日本大震災ひがしにほんだいしんさいでの対応のまずさもあり、民主党への期待は失望感に変わりました。

2012年には安倍晋三あべしんぞう内閣が誕生し、自民党が再び政権を取り戻しました。

バブル経済とその後の不況

プラザ合意で円高に

1980年代は、日本がアメリカから貿易に関して文句を言われていた時期でした。

「円がドルに対して安すぎる。日本が輸出で儲けすぎ」と言われていたのです。

そこで、日本を含む先進国が集まって相談し、円高ドル安の流れをつくりました。

ニューヨークのプラザホテルで会議をしたので、この合意をプラザ合意といいます(1985年)。

この結果、日本は一時的に円高不況に陥ります。

株式と土地が急騰

この不況をなんとかしようと、国が金利を下げてお金を借りやすくしたことが、のちの経済不況の一因となりました。

国からすると、企業が銀行から資金を借りて、事業を成長させることに使ってほしかったのですが、その時期の企業はすでに成熟段階に入っており、別の用途に使ったのです。

それが株式と土地でした。

銀行から借りたお金で、企業の株式や土地を買ったので、株価と土地の値段はどんどん上がります。

価格が上がった土地を担保にまた銀行から借りて、という異常な状態になっていったのです。

この時期の経済は、のちに「バブル経済」と呼ばれました。

バブル崩壊から平成不況に

1990年代に入り、このままではまずいと思った国は「土地購入のための融資を制限します」と、銀行に対して通達を出したのです。

しかし、お金の流れを止めたことで、株式や土地の値段が急激に下落。

銀行に借りていた資金を返済できず倒産する企業が続出しました。

銀行は返してもらえる見込みのない「不良債権ふりょうさいけん」を抱え込むことになってしまいます。

2008年には、アメリカの投資会社リーマンブラザーズが破綻したことで、世界的金融危機が起こりました(リーマンショック)。

政府は景気対策を打ちますが、長引く不況を脱することは難しく、「平成不況」が長く続くことになります。

【一問一答】「冷戦の終結」のチェックテスト(問題・解答)

55年体制崩壊から、非自民政権が2回登場しますので、まずは大まかに覚えておきましょう。

55年体制(自民党政権)→細川内閣(非自民政権)→自民・社会・さきがけ内閣(自民党政権)→民主党(非自民政権)→自民党です。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

  1. 日本人拉致問題とは、1970年代から北朝鮮の工作員によって、日本やヨーロッパなどから北朝鮮へ拉致(誘拐)された事件のことです。拉致被害者の一部の方は日本への帰国が実現しましたが、まだ北朝鮮に残されたままの拉致被害者がいるといわれています。 ↩︎

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