今回は室町時代の文化について。
室町文化は、大きく(1)南北朝文化、(2)北山文化、(3)東山文化に分けられます。
室町時代の文化として「それぞれどう違うのか」「全体として、他の時代(平安や鎌倉)の文化とどう違うのか」を、なんとなくでもいいのでイメージできるようにしましょう。
南北朝文化
室町時代のスタートは、朝廷が京都と奈良に2つある南北朝時代と重なります。
足利尊氏1が活躍していた頃ですね。
この頃は楠木正成のような新興武士が台頭してきたり、天皇が2人並び立ったことで「どっちが正統なの?」というテーマが重要だったりする時代でした。
新興武士の間では、ド派手やぜいたくを好む「バサラ(婆娑羅)」とよばれる風潮があったことは、特徴のひとつです。
また北朝と南朝それぞれの立場から歴史書がつくられたことも、南北朝文化らしいところです。
北朝(足利氏)側の立場では『梅松論』、南朝側の立場からは『神皇正統記』が著されました。
歴史書の名前はちょっとハイレベルですが、できればチェックしておきましょう。
『神皇正統記』を書いたのは北畠親房という人です。
また軍記物として南北朝の動乱を描いた『太平記』も押さえておきましょう。
『太平記』は『平家物語』と並ぶ軍記物の有名な作品ですが、作者はわかっていません。
ちなみに中学の歴史の授業では南北朝文化という言葉が出てこないかもしれません。
南北朝文化に関しては、北山文化や東山文化をマスターした後に取り組む「ステップアップ」として考えましょう。
北山文化
3代将軍の義満の時代に南北朝が統一されました。
この義満の時代が室町時代の中で一番華やいだ時代でした。
日明貿易によって経済的に潤っただけでなく、中国から禅宗の文化がどんどん入ってきました。
北山文化でまず押さえておきたいのが金閣です。

京都の北山に造られた山荘で、北山文化という言葉はここからきています。
1階は貴族文化の象徴である寝殿造風に、2階を和様仏堂風に、3階は禅宗様で造られています。
2階の和様仏堂風というのがよくわからないと思いますが、「武家風」という言葉でイメージしてもらえればと思います。
公家と武家、そして禅宗という異なる世界をまとめて表現したところに、太政大臣と征夷大将軍というツートップを担い、さらに出家した義満らしさが出ていると言われています。
そして北山文化で忘れてはいけないのが、能(能楽)です。
もともと平安時代から田楽や猿楽という芸能は寺社を中心に行われていました。
その田楽や猿楽から芸術の域に高めて、能(能楽)として大成させたのが観阿弥と世阿弥の親子です。
特に息子の世阿弥は、3代将軍の足利義満に気に入られました。
6代将軍の義教には冷遇されて、佐渡に流されますが、能の理論書である『風姿花伝(花伝書)』を著しました。
ちなみに能の合間に行われたのが狂言で、能と狂言をあわせたものが能楽といわれています。
東山文化
義満の時代に花開いた北山文化を生活に取り込み、現代の日本らしさに通じる文化をつくられたのが東山文化です。
特徴は簡素でありながら、気品高いこと。
その代表作が8代将軍義政が東山にたてた山荘の銀閣です。
東山文化という言葉はここからきています(北山文化と同じ由来ですね)。

銀閣は一層が書院造、二層が禅宗様となっています。
書院造というのは、掛け軸を飾る床の間や段差のある違い棚、明障子などが備えつけられ、床にはすべて畳が敷かれている建築様式のことです。
「床に畳がすべて敷かれているのが、どこが特徴なの?」と思われるかもしれませんが、この当時、床には板が敷いてあり、畳は座るところの一部のみ、というのが普通でしたので、画期的なことだったんですね。
銀閣と同じ敷地には東求堂という建物があり、その中に同仁斎という四畳半の部屋があります。
この部屋は書院造の代表例として、よく登場しますので必ずチェックしておきましょう。
東山文化を代表する2つ目は、庭園です。
この頃は禅宗のお寺で、枯山水という技法を使った石庭がつくられました。
枯山水とは、石や砂、木を使って、山や川を表現する庭造りの技法です。
枯山水の代表例としては、龍安寺や天龍寺の庭があります。
この庭園づくりには、当時「河原物」として差別を受けていた人たちが活躍しており、その中でも特に善阿弥は義政に重用されました。
東山文化の代表例3つ目は、水墨画です。
墨の濃淡で書かれた絵画で、東山文化の前から明兆や如拙といった画僧(僧でありながら、絵が上手な人)が登場していました。
水墨画の分野で最も有名なのは、東山文化で登場する雪舟でしょう。
雪舟は明に渡り、本場の水墨画を学んだあと、主に現在の山口県を拠点として作品を制作しました。
代表作は『天橋立図』や『秋冬山水図』など。
雪舟に関しては、子供時代の有名なエピソードがあるのですが、それはまた何かの機会に。
東山文化の代表例4つ目は茶道(茶の湯)と華道(生け花)です。
この2つは今でも日本を代表する文化ですが、この時代に基礎がつくられました。
茶道については、村田珠光がわび茶をつくり、これがのちの千利休によって完成されることになります。
華道については、書院造の床の間に花を飾り、鑑賞するというスタイルが生まれました。
東山文化の代表例の最後は、民衆に広がった文化と教育についてです。
文化が民衆に広がったことは、東山文化に限らず、室町文化の特徴としておさえておきたいのですが、室町時代は民衆の力を持ち始めた時代でしたので、文化も武家や公家だけでなく、民衆の間にも浸透していきました。
北山文化でふれた能や狂言はそのひとつです。
特に狂言は題材が身近で、セリフも普段使う言葉が用いられたので、庶民の間でもてはやされました。
その他にも、太鼓や笛の音にあわせてみんなで踊る「風流おどり」など日本各地で流行りました。
教育に関しては、関東管領だった上杉氏が保護した足利学校で、全国から禅僧や武士が集まり、儒学を学ぶという動きがありました。

また、地方の武士や有力者の子供が寺で教育を受け始めた時代でもありました。
庶民の間では絵入りの物語である御伽草子、例えば『一寸法師』『ものぐさ太郎』などがよく読まれました。
チェックテスト
応仁の乱によって、京都から逃れた貴族は地方に文化を伝え、京都や鎌倉だけでなく、山口などの地方都市も発展していった時代ですね。
文化は人名や作品などが覚えにくいですが、資料集やネットなどで実際に写真を見て、鑑賞すると、少し印象に残りやすくなると思います。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!
- 南北朝の動乱の中で、後醍醐天皇を裏切る形になった足利尊氏は、後醍醐天皇を弔うために京都に天龍寺を建てました。 ↩︎



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