第33回は十字軍の遠征失敗まで話をしましたが、今回はその後の西ヨーロッパで起きた大きな動きについてお話しします。
時期的には十字軍の遠征が11世紀から13世紀の話で、今回は14世紀から16世紀あたりの話になります。
カトリック教会(ローマ教皇)の権威が落ちていった
かつては皇帝をも屈服させるほどの力を持っていたローマ教皇ですが、13世紀から14世紀にかけてその権威を失墜させる出来事がいくつかありました。
- 教皇のよびかけではじまり、約200年にわたって行われた十字軍の遠征は、結局失敗に終わってしまった。「教皇の政治的・軍事的な指導力って、どうなの?」と疑問を持ち始めた。
- 14世紀にペスト(黒死病)が大流行して、人口の約3分の1近くが失われた。「神に祈ってもダメじゃん!」となった。また、聖職者も亡くなったので「全然神に守られてないじゃん!」という感じにもなった。
- 14世紀後半から15世紀初めにかけて、フランスのアビニョンとローマにそれぞれ教皇が並立した。事態を収拾しようとして、2人の教皇を廃し、あらたな教皇を選出したが、元の2人が拒んでしまったため、教皇が1人増えて、3人になった。最終的には分裂状態は解消されたが、社会的には「カトリック教会はなにやってんだ!」という雰囲気になってしまった。
それまでの西ヨーロッパ社会は、何ごともキリスト教の教えが中心でした。
民衆から国王にいたるまで、上から目線で教えを説いていたカトリック教会に対して、人々は「なんか信用できないな」と思いはじめていたのです。
ルネサンスがおこる
こうした教会中心の窮屈な、暗い世の中で、「もっと人間らしくいこう!」という考えが生まれ、芸術の分野において花開きました。
それまでだったら、カトリック教会から「けしからーん!」と怒られそうな作品でも、教会の権威が失墜したことで、「人間の生命のすばらしさを感じるね」といったような表現も許されるようになったのです。
これが14世紀から16世紀にかけておこったルネサンスです。

顔や肌のリアリティを出すためにスフマートを、
空間の広がりをつかうために空気遠近法という技術を使いました
ルネサンスとははフランス語で「再生」を意味します。
何を再生したのかというと、古代ギリシャの文化です。
もともとギリシャの文化や、それを引き継いだローマの文化というのは、個性ある神々や生身の人間を描いたり、また科学的であったりしましたが、キリスト教の教えに反することから西ヨーロッパでは長らく忘れさられていました。
しかし、ビザンツ帝国やイスラム世界では、こうしたギリシャの文化が引き継がれていたのです。
それが十字軍の遠征を通して、逆輸入されるような形で、西ヨーロッパにもたらされました。
大きなきっかけのひとつは、ビザンツ帝国が滅亡した際、ギリシャ文化の専門家たちがイタリアに移り住んだことです。
こうしてイタリア、特にフィレンツェの貴族であるメディチ家などの富裕層がパトロンとなって、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロ、ボッティチェリ、ラファエロといった芸術家たちが活躍する時代に突入していきました。

宗教改革もおこる
この頃のもうひとつの大きな動きが宗教改革です。
黒死病が流行ったり、教会が分裂して教皇が並び立ったりして、カトリック教会の権威はかなり弱体化していたので、多くの人々の間で「なんとかしなければいけないのではないか」という空気が広がっていました。
そんな中、きっかけとなるある事件がおこりました。
サン・ピエトロ大聖堂を建築するための費用を捻出しようと、教皇が免罪符を発行すること許可し、ドイツで販売活動を行ったのです。
「免罪符を買うと罪が許される」ということで、人々はこぞって購入しました。
そこに異議を唱えたのが大学で神学教授をしていたマルティン・ルターです。
1517年に『九十五カ条の論題』を公表し、「免罪符を買っても魂は救済されません」「教会が免罪符を販売すること自体が問題」という内容の文書を公表しました。

その結果、彼は教会から破門されてしまいます。
しかしルターを守ってくれる有力者があらわれ、ルターは新約聖書を多くの人が読めるようにドイツ語に翻訳します。
もともと聖書はギリシャ語で書かれたのですが、4世紀頃からはラテン語で書かれ、その後はずっと聖書といえばラテン語だったんです。
でもラテン語は誰でも読める言語ではありませんでした。
なので、人々は聖書の内容については「教会から教えてもらうしかない」状態だったんです。
ルターは「聖書を自分で読んで教えを知ろう」「神と我々の間に、特権階級である聖職者はいらない」と考えたんですね。
カトリック教会が怒るのもわかります。
翻訳された聖書は、中国からイスラム世界を通じてもたらされた印刷技術によって大量に刷られました。
宗教改革は広がりをみせ、「ルター派」とよばれる人々が出てきました。
カトリック側はルター派への対応のために議会を開いたのですが、その議会に対して抗議文を提出したことからプロテスタント(抗議するもの)と呼ばれるようになります。
その後、宗教改革でもうひとり重要な人物がでてきます。
スイスで活動したフランス人のカルバンです。
フランスはプロテスタントへの締め付けが厳しかったため、招かれたスイスのジュネーブで宗教改革に取り組みました。
カルバンは「救われるかどうかは、神によって予め定められている」という予定説を説きました。
ルターもカルバンも聖書中心という点では共通なのですが、「信仰によって救われる」としたルターに対して、カルバンは「じたばたしてもしょうがない。だって予め決まっているから」という考え方なのです。
またカルバンは「お金を稼いで儲かるというのは、神があなたを選んだ証拠かも」という考えもありました。
これが当時の商工業者たちに刺さりました。
カトリック教会は「お金儲けはだめ」という考えだったからです。
カルバンの考えを支持するカルバン派はフランス、イギリスなど、商工業地域に広がっていきます。
カトリック教会の逆襲
宗教改革を進めるプロテスタントに対して、カトリック側も反撃します。
スペイン人のイグナティウス・ロヨラという軍人が、イエズス会を結成し、ローマ教皇の認可を受けます。
イエズス会は軍人のロヨラがつくっただけあって、「教皇は絶対!」という軍隊のような精神で、プロテスタント化した地域などで、布教活動を行います。
また、伸びしろが期待されるアジアやアメリカなどの海外への布教も開始しました。
ところで、イエズス会結成時のメンバーには、ロヨラと地元が同じスペイン人が入っていました。
フランシスコ・ザビエルです。
彼がやがて日本にキリスト教をもたらすことになるのです。
チェックテスト
ルター派はその後正式な教義として認められ、地位を確立しました。
現在の日本でも「○○ルーテル教会」という名称の教会を確認することができます。
こんどキリスト教の教会を見つけたら、教会の名前に注目してみてはどうでしょうか。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!


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