今回は、江戸時代後半に花開いた「新しい学問」と、庶民が主役の「化政文化」についてお話ししていきます。
同じ江戸時代の文化である「元禄文化」との違いを意識しましょう!
「日本」と「世界」を知る新しい学問
江戸時代の前半は幕府推奨の儒学、その中でも特に朱子学の印象が強いですよね。
しかし、江戸時代後半になると、これまでの儒学だけでなく、「自分たちの国や外の世界をもっと詳しく知ろう!」という動きが活発になります。
国学で仏教や儒教が伝わる前の日本を知る
まず、日本の古典を研究して日本独自の精神を明らかにしようとする国学が盛んになりました。
本居宣長は、約30年もの歳月をかけて『古事記伝』を完成させ、日本の古き良き心を説きました。
『古事記伝』というのは、712年に太 安万侶が編纂した、日本最古の歴史書の『古事記』の注釈本です。
天皇の正当性を信じ、外国を排除するような国学の考え方は、のちに天皇を尊び、外国を退けようとする尊王攘夷運動の精神的な支えになっていきます。
実際に役立つ科学的な蘭学も
国学とは対照的な、西洋の科学技術を学ぶ蘭学も大きく発展しました。
前野良沢や杉田玄白らは、オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』を苦労して翻訳し、『解体新書』を出版。
これが日本の近代医学の第一歩となりました。
前野や杉田の弟子の中には、蘭学の入門書やオランダ語の辞書をつくったりするものも出てきました。
また、伊能忠敬は全国を実際に歩いて測量し、驚くほど正確な日本地図である『大日本沿海輿地全図』を作り上げました。
あとは、エレキテル(発電機)で有名な平賀源内も忘れてはいけません。
源内は西洋画を描いたり、本草学を研究したり、非常に多才な人で今では「日本のダ・ビンチ」ともいわれています。
いろんな知識人が現れたのも、この時代の面白いところですね。
皮肉とユーモア!庶民が主役の化政文化
19世紀に入ると、江戸を中心に化政文化が栄えます。
上方(京都・大阪)の豪商が中心だった「元禄文化」と比べると、化政文化の特色は、江戸の「庶民」が文化の担い手になったことにあります(ここ大事)。
文学では、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』、上田秋成の『雨月物語』などが大ヒット。
俳諧では、絵画的な与謝蕪村や、庶民の哀愁を詠んだ小林一茶が活躍し、世の中を風刺した狂歌や川柳も流行しました。1
美術の世界では、多色刷りの鮮やかな浮世絵(錦絵)2が全盛期を迎えます。
鈴木春信が錦絵の技法を確立し、喜多川歌麿3は美人画、東洲斎写楽は迫力ある役者絵4で人気を博しました。
風景画では、『富岳三十六景』の葛飾北斎や、『東海道五十三次』の歌川広重が有名ですね。
この時代は紙や印刷が普及していて、そのことが小説や絵画が流行したことと関係しています。
浮世絵は木版をもとに大量に印刷することができたため、庶民が安く買うことができたんですね。
社会への問いかけと教育の広がり
この時代、社会の矛盾を鋭く突く思想家も現れました。
新しい思想の登場
安藤昌益は『自然真営堂』で、すべての人が平等に農業をすべきだと封建社会を批判。
江戸時代の考えとしてはかなり過激ですが、自分の思想を完全な形で世に出すことはなかったため、処罰されずに済んだようです。
また、ロシアなどの南下に対し、林子平は『海国兵談』で海防の重要性を訴えました。
「日本は海に囲まれているんだから、江戸の海岸にも大砲を置いて守らないと!」というような内容です。
これは幕府の怒りをかい、処罰されてしまいます(仙台で蟄居)。
教育機関が次々と設立される
教育面では、武士のために各藩が藩校(長州藩の明倫館、水戸藩の弘道館、薩摩藩の造士館など)を設立。
また、私塾も増え、吉田松陰の松下村塾からは幕末の志士たちが輩出されました。
奇兵隊を組織した高杉晋作、日本の初代総理大臣になった伊藤博文など、そうそうたる面々が、この松下村塾に通っていたんですね。
長崎ではドイツ人のシーボルトが鳴滝塾を開き、最新の医学や科学を教えたり、大坂では緒方洪庵が適塾で福沢諭吉などの多くの名士を育成したりしました。
そして、庶民の子供たちは寺子屋で「読み・書き・そろばん」を学び、日本の識字率は世界でもトップクラスになりました。
文字を読んだり、計算ができるようになり、村役人の不正なども見抜けるようになったんですね。
チェックテスト
元禄文化と比べると、上方と江戸というエリアの違いだけでなく、化政文化にかなり庶民っぽさが出ていることを感じられたでしょうか。
北斎や広重の絵などは、ぜひ資料集やネット上で確認してみてください!
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!



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