今回は「大正デモクラシー」の空気の中で花開いた、自由で華やかな大正時代の文化と生活について。
明治時代のがむしゃらな雰囲気とは少し違って、個人の幸せや楽しみを大切にする時代へと変わっていく様子を確認していきましょう。
大正文化の特色と大衆化の背景
明治までの日本は「国を強くすること」が一番の目標でした。
しかし、大正時代に入ると「自分らしく生きたい」という個性や自主性を重んじる空気が強まったんです。
この変化を支えたのが教育の普及。
初等教育(小学校)の就学率はほぼ100%になります。1
さらに上の中等・高等学校や大学への進学率も高まっていきました。
文字が読める人が増えたことで、文化が一部の特権階級だけのものではなく、一般の人々へと広がる「文化の大衆化」が起きたんです。
都市部にはサラリーマンなどの新中間層と呼ばれる人々が現れ、彼らが新しい文化の主な担い手になっていきました。
広がるメディアと新しい娯楽
教育を受けた人々は、積極的に活字に触れるようになりました。
新聞はもちろん、社会問題を鋭くつく総合雑誌が読まれ、1冊1円という安さで売られた円本や、教養書を手軽に読めるようにした岩波文庫が大流行。
子供たちの世界でも、芸術性の高い童謡や童話が作られるようになりました。
家の中では蓄音機から流れるレコードの音楽を楽しむ人もいました。
1925年にはラジオ放送もスタート!
情報や娯楽がリアルタイムで家庭に届くようになったのは、まさに革命的だったんです。
外に出れば、活動写真(映画)が娯楽の王様になり、スポーツでは野球が国民的な人気を集めるように。
現代の私たちの生活に近いスタイルが、この頃に形作られたともいえます。
文学と芸術の新しい波
大正時代の文学や芸術は、明治よりもさらに多様性が高まりました。
- 西田幾多郎が哲学の分野で東洋と西洋の哲学について思索を深めました。
- 柳宗悦は名もなき職人の道具に美を見出す民芸運動を始めました。
- 文学界では、人道主義を掲げる志賀直哉ら白樺派、美の世界を追求した谷崎潤一郎らの耽美派、そして知的な短編で有名な芥川龍之介らの新思潮派が活躍。
- 時代が後半に進むと、労働者の苦しい現実を描く小林多喜二らのプロレタリア文学も力を持つようになりました。
| 派閥 | 文学者 | 主な作品 |
|---|---|---|
| 耽美派 | 永井荷風 | 『ふらんす物語』『腕くらべ』 |
| 谷崎潤一郎 | 『痴人の愛』『刺青』 | |
| 白樺派 | 武者小路実篤 | 『友情』 戯曲『その妹』 |
| 志賀直哉 | 『和解』『暗夜行路』 | |
| 有島武郎 | 『或る女』『カインの末裔』 | |
| 新思潮派 | 芥川龍之介 | 『羅生門』『鼻』『河童』 |
| 菊池寛 | 『父帰る』『恩讐の彼方に』 | |
| プロレタリア文学 | 小林多喜二 | 『蟹工船』 |
演劇では小山内薫が築地小劇場を拠点に新しい芝居(新劇)を広めます。

※AIによりカラー化しています
江戸時代から続いていた歌舞伎が「旧劇」に対して、「新しい劇」だから新劇といいます。
ちょっとややこしいのですが、実は旧劇と新劇の間に、現代的なテーマをあつかった新派もしくは新派劇というのもあります。
こちらの新派劇も、歌舞伎の「旧派」に対することから名づけられました。
歌舞伎(旧派)、新派劇、新劇の違いを簡単にまとめるとこんな感じです。
| 呼び名 | ジャンル | 特徴 |
| 旧劇 | 歌舞伎 | 江戸からの伝統、女形がいる、様式美、隈取、三味線 |
| 新派劇 | 中間的 | 現代の事件、女形がいる、庶民的な悲劇・メロドラマ的 |
| 新劇 | 近代的 | リアルな演技、女優が登場、芸術性・社会性が高い |
女性が女性を演じる「女優」が本格的に活躍し始めたのは、大正時代の新劇からなんですね。
この女優たちのファッションや生き方は、後述するモガ(モダンガール)にも影響を与えることとなります。
美術では娘をモデルにした岸田劉生や、なで肩の女性が特徴的な竹久夢二のほか、安井曽太郎、梅原龍三郎といった個性豊かな画家たちが登場します。



音楽の世界でも、野口雨情の詞に山田耕筰が曲をつけたり、宮城道雄が伝統的な琴の音楽に新しい息吹を吹き込んだりと、ジャンルを超えて才能が爆発した時代でした。
モダニズムと都市の生活
日常の風景もガラリと変わります。
まず都市化が急激に進みました。
明治から大正にかけて人口は増えましたが、第1次産業(農林水産業)に関わる人の数は変わらず、都市部で働く第2次・第3次産業の人口比率が高まりました。
電気・水道・ガスといったインフラが整い、洋風の応接間を備えた文化住宅に住むことが人々の憧れになります。
買い物は大きなデパートへ行き、食堂でライスカレーやトンカツを食べるのが当時のステータス。
ファッションも刺激的で、最先端の洋装で街を歩く男性はモボ(モダン・ボーイ)、女性はモガ(モダン・ガール)と呼ばれました。
モガの特徴としては、女性の髪の毛は長いものが当たり前だった時代に、それをバッサリ切って帽子をかぶり、唇には赤いルージュをひき、(当時としては)肌の露出が高めの服を着るというものです。

※AIによりカラー化しています
明治までは洋服を着るのは上流階級の女性に限られていました。
しかし大正時代になり、女性の社会進出が進み、バスガールや電話交換手といった職業に就く女性(職業婦人)も増えてきたことで、収入を得て、自由な生き方を謳歌するようになったんですね。
大正時代は、自由で華やかな文化が、一般市民に浸透した時代だったんですね。
関東大震災の悲劇とモダン都市への歩み
1923年9月1日、関東地方を大震災が襲いました。ちょうどお昼時で火を使っていた家庭が多く、大火災が発生。東京や横浜は焼け野原になり、死者・行方不明者は10万人を超えました。混乱の中で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが広まり、多くの朝鮮人らが殺害される悲劇も起きました。しかし、帝都復興計画で道路や公園が整備され、住まいが郊外へ広がると人口も急増。この復興で当時残っていた江戸の雰囲気はなくなり、デパートやバスが走る「モダンな都市」へと生まれ変わることになりました。
【一問一答】チェックテスト(問題・解答)
現代の日本にある和洋折衷の文化は、この大正時代にベースがつくられたんですね。
次回はいよいよ昭和の時代に突入です。
今日はここまで。
アリーヴェデルチ!
- 明治時代は決まった形式で書かされた作文(つづり方)も、大正時代になると自由に自分の意見を書くようになりました。 ↩︎


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