【中学歴史・第95回】戦後の文化(映画・マスメディア)|一問一答テスト付

街頭テレビのプロレス中継、漫画雑誌を読む子供たち、アポロ11号の月面着陸を組み合わせた戦後文化のイメージイラスト。 中学歴史

戦後の文化は「都市大衆文化としたいしゅうぶんか」です。

大正の文化も「大衆文化」でしたが、一般の人が楽しめる「大衆化」がさらに進んだ感じです。

江戸、明治までの文化に比べると、親しみを持てそうな内容ですよ。

自由な言論の復活とマスメディアの活気

戦争が終わると、それまでの厳しい情報統制がなくなり、日本に言論の自由が戻ってきました。

新聞や雑誌の復刊・創刊が相次ぎ、街には文字があふれ始めます。

知識層をリードした総合雑誌

特に、知識層の間で圧倒的な存在感を放ったのが総合雑誌そうごうざっしです。

戦中に休刊させられていた中央公論社の中央公論ちゅうおうこうろんや改造社の改造かいぞうが復刊し、さらに岩波書店からは世界せかいが創刊されました。

岩波書店発行の雑誌『世界』1960年8月号(第176号)の表紙写真。特集タイトルは「主権者は国民である――安保条約をめぐる国民運動と今後の課題――」。モノクロと赤色のテキストが印刷されている。
1960年の安保闘争直後に刊行された『世界』1960年8月号表紙。当時の緊迫した政治状況と知識人の言葉が記録されています(PD:『世界』1960年8月号)

これら月刊誌は「これからの日本はどうあるべきか」を熱く論じ、大学生や知識人たちに多大な影響を与えました(かなり真面目な内容です)

こうしたブームに乗り、新聞社や出版社は一気に活気を取り戻したのです。

娯楽の王様「映画」と「ラジオ」

当時の娯楽の王様といえば、なんといっても映画です。

映画館はどこも超満員!

年間入場者数は、国民1人が年に10回以上見る計算になるほどの盛り上がりでした。

その中で、1950年に公開した黒澤明くろさわあきら監督の羅生門らしようもんが、ベネチア国際映画祭の金獅子賞きんじししょうを受賞し、日本映画の質の高さを世界に証明しました。

また、1925年にスタートしたラジオも、家庭の必需品として広く普及していました。

日本放送協会NHK)のラジオドラマ『君の名は』の放送時間には「街から女性の姿が消える」と言われるほど、みんながラジオにかじりついたのです。

映画「君の名は」(1953年)の数寄屋橋でのワンシーン。真知子巻きをした岸惠子と佐田啓二、背景に日本劇場。
『君の名は』はラジオドラマが大ヒットし、1953年に映画化されました。これはその映画のワンシーン(PD:『昭和の美人女優 雑誌『平凡』秘蔵写真館』マガジンハウス)

やがて民間放送もスタートし、クイズ番組や音楽番組など、よりバラエティ豊かな放送が人々の生活を彩るようになりました。

映画とラジオはともに1955年頃にピークを迎えます。

テレビと高度経済成長の文化

1953年、いよいよテレビ放送が始まりました。

当時はまだ「白黒テレビ」で、値段は今の価値で数百万円もする超高級品!

とても一般家庭には手が出なかったため、人々は街頭テレビに集まって、力道山りきどうざんのプロレスなどに熱狂しました。

1950年代の日本、新橋駅付近で街頭テレビを囲む膨大な群衆。白黒写真をカラー化。
昭和30年代、テレビ放送開始初期に見られた「街頭テレビ」に詰めかける人々(東京・新橋駅付近)。当時は高価だったテレビを、多くの人が街頭で共有して視聴しました。家庭用の小さな画面にこれだけの人が集まっていたというから驚きです(PD:『アサヒグラフ』 1955年8月3日号)

「ご成婚」が変えた家庭の風景

テレビが家庭に普及する決定的なきっかけは、1959年の皇太子のご成婚せいこんパレードです。

「パレードを見たい!」という思いが、テレビ購入の波を作りました。

テレビにはコマーシャルが流れ、それが人々の購買意欲をかき立てます。

洗濯機や冷蔵庫などの家電が広まり、日本人の生活水準は一気に向上しました。1

特に洗濯機は、主婦の家事の時間を大幅に短縮したといわれています。

国民的スターと「中流意識」

夜になると、家族が茶の間に集まって団らんしながら、スポーツや芸能を楽しむのが定番になります。

プロ野球の長嶋茂雄ながしましげお王貞治おうさだはる、大相撲の横綱・大鵬たいほうなどは、まさに国民的スターでした。

誰もが同じ番組を見て、同じような豊かさを目指す中で、自分たちは平均的だという中流意識が生まれ、日本人のライフスタイルが全国的に均質化されていったのもこの時期の特徴です。

漫画やアニメ、文学の発展

1950年代後半になると、文化はさらに身近になります。

政治を論じる「硬い」月刊誌に対し、より身近な事件や芸能を扱う『週刊新潮』や『週刊文春』といった週刊誌しゅうかんしが登場。

それまでも週刊誌はありましたが、新聞社系のものだけで、内容は新聞の内容を補うような記事でした。

『週刊新潮』などの出版社系の週刊誌は、新聞社が扱わないネタにスポットをあてる編集方針をとりました。

昭和時代の週刊誌「週刊新潮」のモノクロ新聞広告。縦書きの大きな見出しが並ぶ。
昭和時代の熱気を伝える『週刊新潮』の新聞広告(PD:『中日新聞』1967年12月2日付朝刊)

さらに『少年サンデー』や『少年マガジン』といった漫画誌、さらには『主婦の友』などの女性誌も次々と創刊され、誰もが手軽に情報を楽しむ時代になりました。

手塚治虫とテレビアニメの誕生

ここで登場するのが「マンガの神様」手塚治虫てづかおさむです。

彼の代表作『鉄腕アトム』は、1963年から日本初の連続テレビアニメとして放送を開始しました。

30分番組を毎週放送する」という今のスタイルは、ここから始まったんですよ。

新しい文学とノーベル賞

文学界でも新しい才能が花開きます。

松本清張まつもとせいちょうが社会派推理小説ブームを巻き起こし、司馬遼太郎しばりょうたろうが独自の視点で歴史小説を描いて国民的な人気を博しました。2

また、純文学の分野でも、川端康成かわばたやすなりが日本人初のノーベル文学賞を受賞し、後に大江健三郎おおえけんざぶろうもこれに続きました。

補足:大正・昭和初期(近代) vs 戦後(現代)文化の比較表

比較項目大正・昭和初期(近代)戦後〜現代(現代)
キーワード大正デモクラシー・和洋折衷大衆消費・アメリカ化・多様性
主な担い手都市部の知識層・中産階級(モボ・モガ)全国民(大衆文化の完成)
欧米の影響ヨーロッパ(独・仏・英)の芸術・思想アメリカのライフスタイル・エンタメ
メディア新聞・雑誌(『中央公論』等)・ラジオ放送開始テレビ・漫画・アニメ・インターネット
生活スタイル文化住宅・洋食(カレー・コロッケ)の普及電化製品(三種の神器)・団地・コンビニ
教育・思想自由主義・個人主義(一部で高揚)民主主義・平和主義・義務教育の延長
芸術・文学白樺派(志賀直哉など)・プロレタリア文学戦後文学(太宰治など)・サブカルチャー

共通点:洋風化の進展
どちらの時代も、衣食住のあらゆる場面で「洋風」が取り入れられました。大正時代の「カレーライス」や「カツレツ」が、戦後の高度経済成長期を経て、日本の食卓の定番(国民食)へと完全に定着していくような流れがあります。

異なる点:文化の「深さ」から「広さ」へ
大正時代の新しい文化は、「大衆文化が芽生え始めた時期」で、主に都市部の「インテリ層」や「新中間層」に限られていました。それに対して戦後は、テレビや雑誌などのマス・メディアの発達により、日本中の誰もが同じ流行をリアルタイムで共有する「大衆文化」へと進化したのが最大の特徴です。

【一問一答】「昭和の文化」のチェックテスト(問題・解答)

ノーベル賞受賞者も紹介したかったのですが、量が多くなったので、別の機会にまわします。

ここでは1949年に物理学賞を受賞した湯川秀樹ゆかわひできの名前だけは、日本人初の受賞者として覚えておいてください。

今日はここまで。

アリーヴェデルチ!

  1. 1950年代後半に普及した白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の3つは「三種の神器」と呼ばれました。 ↩︎
  2. 代表作は、松本清張が『或る「小倉日記」伝』『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』『黒革の手帖』など、司馬遼太郎が『ふくろうの城』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『坂の上の雲』などがあり、それぞれ映像化された作品が多数あります。 ↩︎

解説文やプリントの効率的な使い方はこちらからご確認いただけます。

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